地震
ご無沙汰してました。一年間の学校での仕事も終わり、次の職もきまってないので・・・しばらくフリーの花です。さて、3月11日には私も震度6強の地震に遭って仰天しました。その日は小学校の職員室にいて、役所からの電話をとって丁度挨拶しているところで。花「お世話になってます。うわっ・・・地震きてませんか?」役「うーん、そうですね・・・」 不気味に長い揺れ。花「ちょっと大きいですよね。一度切りましょうか・・・」役「そうですね、わかりました。」 震度3くらいの揺れはそのままおさまらず、何の用件だったかもわからない電話もそれきり。先生達はみんな出払っていて、職員室には私と保健室の先生のみ。とっさに私は窓を開けて、そして、なんだか嫌な感じだったので自分のかばんを急いで掴んで保健室の先生に「外に出たほうがいいですよね!?」と言いながらなんとなく一緒に職員室を出て玄関へ。揺れは大きくなり、学校が崩れる!と思ってもうそこからは大きな揺れに足がもつれそうになりながらも走って校舎から離れました。グラウンドの真ん中に男の子達が数人。「せんせーこわいよぉー!」半分ふざけた口調で子どもがすがってきました。「大きかったねー!ビックリしたね~!」とハグしたら、他の子たちも「オレにもやって~!」と、みんなでハグしてケラケラ笑ってました。笑えなくなるような事実を見聞きする前の今なら笑える。今のうちに子ども達と一緒に笑おうという思いもありました。子ども達はみんな、不安とビックリとワクワクとが混在して大興奮でした。ワンワン大泣きしている女の子は、たいていよーくみるとウソ泣き。でも、「大丈夫?」と声をかけると頷くけど、足がガタガタ震えてる子もいました。しばらくすると校舎に残っていた子どもたちも先生と一緒に出てきました。あわててカメラの三脚を掴んで出てきた先生もいて、自分の持っている三脚に気付いて「?」になってました。蛍光灯も落ち、テレビも壊れ、廊下もゆがんだりひび割れしたりしたのに、奇跡的に子ども達は全員無事でした。あとで聞いた話では、地震発生時、職員室にはもう一人、文房具の○○堂のおばさんが来ていて、私の後ろにいたそうで。。私は記憶に全くなかったけど、私と保健室の先生が外に出て行ったあともほとんどの棚が倒れ、蛍光灯が落ちるなか、ずっと最後まで私の机をつかんでいたのだとか・・・保健室の先生は、てっきり一緒に出てくるものと思っていたそうで、その話を聞いたときはゾッとするやらなんだかおかしくて笑っちゃうやらで、1週間くらいずっと思い出してはふきだしてしまってました。おばさんが無事だったからこうして笑えるんだけど。。グラウンドに子どもを迎えにきたおとうさん、おかあさん達は子どもを抱きしめてホッとして涙ぐんで帰っていきました。私も息子を預けている保育園に電話してみましたが、「現在通話ができない状態です」といったアナウンス。直接いくまではどうなっているのかわからない状態でした。もう校舎は使えず。風が冷たいので、トイレに行きたい男子続出。耐震補強をしたばかりの体育館に全員移動。そして、その体育館はそのまま一般の人も受け入れる避難所になりました。勤務時間が終わって解放された私は急いで保育所にいくと、園庭に園バスが止まっていて、息子がその中からすごいハイテンションで出てきました。お昼寝中に地震がきて、子ども達を起こしてバスに乗せて避難していたそうです。息子は園バスが大好きなので、大興奮だったそうです。家に帰ると、やっぱりいろんなものが落ちてました。大きい家具もずれていて、電気も止まってました。テレビでしか見たことのない光景に、途方にくれました。寝室も電気が落ちて割れていて、電気がこないので寒いし、とても寝られそうにないと思い、そのまま毛布を車に積んで避難所に行きました。途中夫となんとか連絡がつき、一緒に勤務していた小学校の避難所へ。うちの区域の小学校はまた別にあったのですが、体育館が壊れて使用不能と隣の奥さんが教えてくれました。まだ子どもたちと一緒にいた教頭先生が、私達の場所を空けてくれて乾パンと毛布を持ってきてくれました。寒い体育館は満杯で、200人もいたそうです。隣に座っていた一家がうちの息子が小さいのを見て毛布を分けてくれました。寒くて眠れない夜を過ごしました。翌日の夕方頃電気は復旧しましたが、水道水が濁っているとかで飲まないようにとの警告。でも、電気が復旧したときには安心して大泣きしました。余震も何度も来るし、いつまで続くかわからなくてとても不安でしたが、2日後には近くのスーパーの前で少しずつ食材が売られるようになりました。私は息子を抱いて列に並んだりしていたのですが、ろくなものも食べられずに疲れてしまっていたので、寝ている息子を抱っこしていられず。。私の前にはまだ100人以上もならんでいるので「スーパーのベビーカーを貸していただけませんか~」と店員さんにもってきてもらいました。でも乗せようとすると起きてしまってグズグズ。すると私の前に並んでいた30代くらいの男性が「大変でしょう、お子さん抱っこしますよ」と言って、その後ずっと抱っこしてくれました。本当に子どもと一緒だと何をするにも大変だったもので、周りの方々にいろんな場面で助けていただいてとってもありがたかったです。ガソリンも灯油も食べ物も手に入れるのが大変でしたが、やっと落ち着いてきました。テレビで避難している方々をみる度に気の毒で泣けてきます。