母と私。昭和時代 | 板橋区常盤台のペットサロンぽちのブログ

母と私。昭和時代






私は、近所でも
母の趣味で、ハイカラな格好をしていた気がします。

絵を描くこと。
泳ぐこと。
動物が。

好きな事でした、、、、。

幼き頃から、、、、、。
母は、本当に美しい人で
子供から見ても。
次元が違っていた、、、、。


静岡の従兄弟、従姉妹達。
私の服は、お手製でした、、、、。

いつも、流行りのヘアスタイルと洋装でした。

前例二列目の父と母。私の学芸会。
母のこの着物は、自分で仕立ててた、、、。

もふもふでなくて、ごめんなさい。

私が幼少期、東京に出てきてからのアルバムです。
(私は、それまで静岡で育ちました。)

おはようございます。
板橋区、常盤台でペットサロンぽちを経営しております上田千鶴です。

昭和を感じる懐かしい写真を眺めておりますと。

様々な想いが交錯いたします。

母の人生は、一人娘で産まれ。
大人に囲まれて、大切に育ち。

父に愛され。
子供も授かり。
仕事に生き。
自由で、幸せな人生だったのでは。と。

長女の私は、感じています。

最期。
1人で、誰にも看取られず。
急に逝ってしまわれましたが。

私は、正直。悔いもありますが。

母の潔さと矜持を感じています。

1人暮らしでも
周りの方々がびっくりするほど、綺麗な住まいでした。

母は、お洒落で身綺麗な人でした。
美食家で、口福な人でした。


今夏、姪から送られてきた最期の母の写真になりました。
弟の娘達と、買い物に行った時の写真です。

私は、親不孝者で。
心優しい娘ではありませんでした。
仕事ばかりでした、、、、。

母の日も。
誕生日も。
敬老の日も。
何もしてあげれない不肖の娘です。

離婚までし。
母を寝こました情け無い長女です。

私は、丈夫で。
教育も身につけさせて頂き。

諦めない心を育てて頂きました。

厳しく育てられたからこそ。
今の私が。

あるのかもしれません。

母娘でも、相性はあります。
妹は、母にとても優しい娘に育ちました。

私は、父の方に近い暮らしでした。

父に優しい娘は、母と、少し距離がありました。

母の願いは、兄弟姉妹仲良くかもしれません。

見えない遺言。
がんばりたいと思います。

今朝は母に寄せて、、、、。


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年中夢中