いつも6歳の娘の散歩に便乗して
「光合成」をしている、
ひきこもりのみやけ工房です😅
前回は私が「コーヒー」にハマったことの
メリットなんかをお話しましたが、
今回は私にとっての「コーヒー」の存在、
もし「コーヒー」と出会ってなかったら、
というちょっと真面目なお話を
しようとおもいます。
一番はじめのブログにもチラッと書きましたが
私にとっての「コーヒー」は、
幼少の頃のコーヒーキャンデーに始まり、
小学校の高学年ではすでに
インスタントコーヒーを飲んでいました。
当然、子どもなので
クリープと砂糖は多めでしたが😅
‥立ち上る湯気
‥漂う香り
‥黒い液体、
‥そして苦味。
そういったものすべてが
私にとっての「大人」でしたし
それを飲むことで
ちょっと背伸びして大人の窓を
覗いたようでした。
「コーヒー」=「大人へのあこがれ」
だったのかもしれません。
そして
「コーヒー」を淹れる「時間」。
「コーヒー」を飲む「時間」。
「くつろぐ」というより
「時間の流れを楽しむ」
ということ教えてもらった気がします。
ただ、学生時代や社会人になってからは
他にもやりたいこと増えてしまい、
自分で「淹れる」ということはなくなって、
「缶コーヒー」になってしまいましたが、
それでも友人や仕事仲間と
缶コーヒー片手によく外に出て、
公園などで
恋や生きがい、
夢や理想、
そして不満など
いろんなことを語り合って
時間が経つのを忘れて
「時間の流れ」を楽しめていたとおもいます。
このように私にとっての「コーヒー」は
大人を感じさせてくれる
「兄」のような存在であったり、
いつもそばにいてくれた
「友」
とも呼べる存在ではなかったでしょうか。
結婚してからも
その付き合いは続いていて
特売で買ってしまった💦
コーヒーメーカーを手に入れてからは
「毎朝のコーヒー」という
新しいルーティンもでき
それなりに安定しているようでした。
‥しかし、そんな平穏な日々も
私自身の残念な性格が災いして
大きく崩れてしまいます‥。
‥もう少し長くなるので
今回はここまでです😅
次回はこの続きお話しようと思いますが、
私の相当なダメ人間ぶりを
ご紹介することになりますので💦
人によっては引いてしまうかも🥶
なのでその辺を覚悟してから
次回も覗いていただけると
大変嬉しいです😊
それでは。