HARD DUTY。制御棒の先端部に構造的欠陥があった。 | 乖離のぶろぐ(*´∀`)吸い込んで応援
http://www.zenplanning.com/nuke/HardDuty/HardDuty_JP.pdf
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HARD DUTY
過酷な任務・ある女性のチェルノブイリでの体験
Natalia Manzurova and Cathie SuIlivan
ナタリア・マンズロヴァとキャシー・サリヴァン
翻訳:後藤健太郎・大羽正律・大羽比早子

http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/e0edc2de3cbc65dbad569df24ea02657
チェルノブイリで事故処理「Hard Duty(苛酷な任務)」ある女性科学者の体験
2011-07-22 12:07:51 | 福島第一原発
 ナタリア・マンズロヴァの「Hard Duty」を読むと、チェルノブイリの事故処理に様々点で、関与した人々にどのようなことがおきたのか、健康面や精神面でどうした緊迫した事態が続いていたのかがはっきりとわかります。これは、福島でおきることを推定させる話であり、当時のソ連のような統制国家であれば、出来た話が、逆に日本のような制約がかけられない社会では、できないことが逆に多いことも理解できます。
 この文書は現地に入り込んだ人々に何がおきたのかが分かる話です。「リクィデーター」といわれる人々がどのような状態になったのか、特に脳神経にどのようなことがおきたのかは、チェルノブイリを知る専門家が、今回危惧して僕に再三伝えていた情報とシンクロします。精神的な部分である種の障害がおきること、具体的に脳に影響が強い事。さらに欲望、特に性欲が増す事など、表で語られにくい事象も、文章にされています。こうしたことを確認しておく事が、これから僕らが生きていく状況を正確に認識する事にも通じると考えています。
 引用されている写真などには、正視に堪えない写真もあります。これを踏まえたうえで、しかしあなたは、きちんとご覧になることをすすめます。(小さいお子さんにはおやめになったほうがよいと思います)

これも翻訳された大羽さんなど米国在住の皆さんの努力の賜物です。皆さん、謝意を。




http://www.tweetdeck.com/twitter/pochifx/~yKLGx
チェルノブイリの真相~ある科学者の告白~

2011年7月21日 木曜深夜[金曜午前 0:00~0:50]
1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発の大爆発。旧ソ連の事故調査委員会の主要メンバーとして、事故後すぐに現地入りした科学者、ワレリー・レガソフが自ら見聞きした体験をまとめた回想録を元に描いたドキュメンタリードラマ。
爆発事故は、皮肉にも停電などで外部からの電力の供給がストップした際にいかに原子炉を安定して運転させるかを確かめる安全試験の最中に起きた。すぐに消防が駆けつけ消火作業にあたったが、放射線を浴びて倒れていった。現場には、事態を正確に把握して指揮をとれる者はおらず、幹部たちは何とか事故の情報を内輪にとどめることだけに執着した。その結果、事故の後も多くの従業員が発電所にとどまり被爆した。さらに、従業員の家族などが暮らす人口3万5千の街では、事故の情報は伝えられず、見えない死の灰が降り注ぐ中で、いつもと変わらぬ生活を送っていた。
2ヵ月後、IAEA国際原子力機関で報告を行うこととなったレガソフは、事故の影響の大きさを考慮して、ありのままの全てを公にすべきだと主張するが、政府側はレガソフを諭し、事故は従業員の操作ミスが重なったために起きたとだけ、公表させた。
チェルノブイリ原発事故の現場で何が起きていたのかを生々しく描くとともに、事故の背景に、単なるミスを超えた国家や社会のあり方が横たわっていたことを指摘する。

原題:Chernobyl Nuclear Disaster
制作:BBC/Discovery Channel/ProSieben (イギリス/アメリカ/ドイツ 2006年)



(゚ω゚)エンディングのナレーションの文字おこし。
(゚ω゚)こっそり、HNKは隠蔽体質の民主党や経産省や政府を批判をしています。


1988年4月、チェルノブイリの事故調査を率いた人物(語っていた眼鏡のおっさん)がモスクワ郊外の自宅で自殺。
ワレリー・レガソフ 享年51
レガソフの自殺はソビエトの原子力業界に大きな衝撃をもたらしました。
彼の死後、政府はチェルノブイリで使われていた制御棒の先端部に構造的欠陥があったことを公表。
改良措置がとられました。
それでも多くの人は今なお、原子炉の運転を担当していたA・アキーモフ運転班長と、
トフトゥーノフ原子炉管理技師に事故を招いた責任があると考えています。

チェルノブイリ発電所所長のV・ブリュハーノフと、運転担当の副技師長のA・ジャトロフ、両者は10年の実刑判決を受けました。
しかし、二人とも健康状態の悪化から早期に釈放されています。

鎮火後の現場検証で、溶けた炉心が下部深くまで到達していることが分かりました。
水が抜かれていなければ大爆発が起きていました。
封じ込められた放射性物質は少なくとも10万年は影響を与え続けるとみられています。
公式の発表では事故の犠牲者は消防士と発電所の職員合わせて31人。
しかし、実際の犠牲者の数は、それよりはるかに多いと考えられています。

爆発で撒き散らされた放射能のチリは、みるみる拡散していきました。
隣接するベラルーシでは腫瘍の発生率がイギリスの50倍に急増。
周辺地域では2000人の子供が甲状腺がんを発症しました。
国連は2002年までにその数は倍になると予測しました。

秘密主義と責任回避の体質がチェルノブイリの犠牲者を生みました。
事故からおよそ3週間後、ゴルバチョフ大統領は事故について異例の声明を発表しました。
しかし、原子炉の欠陥には言及しませんでした。

レガソフは生前、こう述べています。
「秘密主義は大惨事を引き起こす」