地震で東日本はパニックですね。。。
いつどこで起きるから分からない、
今回はそれを痛感しました。
地震がおきた時、私は会社にいました。
縦ゆれ後、大きな横ゆれ。
みんなで一斉に机の下に。
机の上ではパソコンがひっくりかえる音がすごかった。。
高層ビルの18階に会社があるので、ずっと船の中にいるようなゆれが続いた。
机から出て、パソコンを直し始めた頃、茨城沖で起きた2回目の大地震が!!!
1回目よりはるかに恐かった。
船にゆれているような感覚の中、机から出てパソコンを直し、
ネットでみると、1回目が5強、2回目も5弱
宮城が震度7…
みんなが一斉に電話のチェック、東北支社に電話してもつながらない。。。
そんな中窓を見ると、すごい火が!!
コスモ石油の火災、私の会社の窓からも見えました。
本部長の判断で、上長以外は帰宅できる人帰宅するようにとのこと。
私は、家がそれほど遠くないので、歩いて帰ることに。
ビルの2階はこんなことに

駅前も通ったら、

埋立地ってこともあり、液状化現象で大変なことに。
駅は立ち入り禁止になってた。。。
歩いてる途中でも道がこんな風になってるところも

2時間半で帰れました。
歩いてる途中、幾度と消防車が走っていきました。
おそらく、コスモ石油の消火に向かっているのでしょう。
歩いてる途中に一度、爆発音が聞こえ、共に歩いてる人たちで「大丈夫、きっと大丈夫」といいながら歩きました。
こういうとき一人じゃないって大事なんだなって思いました。
通り過ぎた川が逆流していたときも、おじさんが「少し遠回りだけど、こちらを通りましょう」といい、海から少し離れた道を歩きました。
みんな見ず知らずの人なのに、みんな一致団結してて、それが安心でした。
家族は、
妹が卒業旅行で台湾に行ってたから、帰れたのか?って思ったら、
なぜか当日、朝一の便に変更したということで地震直前に自宅ついたとのこと。
ぽちゃこ家は運だけで生きております(;^_^A
都内にいた父は翌日の昼まで帰ってこれませんでした。
しかし、父は東北地方に出張が多いので、その日本社にいたことも奇跡でした。
余震で夜はなかなか寝れず。。。
私の家は断水したり、水が出るようになったりと水の供給が安定しない状態ですが、
家族・友人・親戚が無事でいたことがなによりです。
被災地の方でまだ安否がわからない方がたくさんいるという情報ですが、
一人でも多くの生存者がみつかるようにと祈るばかりです。
千葉は余震がまだ続いていますが、街に出れば少し外壁が崩れてるところがあるものの、
いつもと変わらない風景が広がっています。
節電や募金、今できることはそれぐらいですが、ひとつでもできることをやろうと思います。
ダイエットは生活が落ち着いてから再開します。