頭の中のあかりんはまだ止まるところを知らないゾ。

頭にきますよ~(バプテスマ)

と言う事で、キリスト教の神について考えていくよ~(あかりん)

あかりはこう思うんだよね。

神の存在否定をするにあたって、人間が作り出した物と証明出来ればいいって。

だから、あかりの好きな心理学とニーチェさんの思想から考えてくよ~

 

まず、キリスト教における天国・地上(この世)・地獄と人間の精神構造の類似性について。

フロイト先生などが言う事には、精神は無意識・自我・超自我に分かれていて、

無意識はヒトの欲望や本能、超自我はヒトの良心や正義に当てはまって居て、その板挟みになってるのが自我だよ。

キリスト教の世界構造は、

地獄がヒトの欲望による罪や悪徳、天国がヒトの良心による善に当てはまっているよね。

そして今いる地上はその二つの価値観に影響されあっている訳だよ。

そう考えてみると、構造がとても似ているよね。

そこから、人間の心から生み出されたものであると言う説を作る事が出来るね。

 

次に、ニーチェの思想から考えるよ。

ニーチェはキリスト教を弱者のルサンチマン(虐げられたりして溜まる鬱憤)によるものと言ってるよ。

じゃ、あかりんと考えよう。

 

天国サイドの神は善を司ってる訳だよね。

それじゃ、神様=善が強かったとしたら、すぐに地上から弱者を虐げる者はいなくなるはずだよね。

でも、弱者たちを虐げる者=悪は変わる事はないよ。

その社会構造や権力に鬱憤が溜まるよ。

そしたら神は何もしてない事になっちゃわない?

だから虐げてくるものの象徴として強大な悪魔を作ったよ。サタンだね。

神はサタンの軍勢と戦ってる事にするよ。

そしたら神は善として悪と戦っていて、その神の元にある自分たちはその抽象的な悪に対して、社会構造などに溜まっていたルサンチマンを発散する事が出来る訳だね。

そしたら神は悪と戦うことを正当化するためだけの存在であり、人によって作られるべきものであると言えるね。

だから、キリスト教における神は人間が作ったもの=存在しないと言えると思うよ。