イの国探検隊ファンの皆様こんにちは

 

今日も妄想で、かつてあったとされるイの国を探検だ!

 

 

 

 

元は島だった真珠島

志度寺縁起に伝わる藤原不比等と海女の(龍の)玉とり伝説の伝説に登場する真珠島(しんじゅとう)です。

 

 

 

 

 

清和源氏につながる生駒氏が、弁財天、吉祥天を祀りなさいと定めている。


弁財天は、河の女神
吉祥天は、北方の毘沙門天の妻もしくは妹


毘沙門天=多聞天=金毘羅大権現
金毘羅大権現=鰐積

毘沙門天は北を守護する天部

 

阿波の祖谷を北で守護している

祖谷の川

祖谷は熊野であり、伊勢、阿多
水の色の青、青石(緑色片岩)の影響だと思います。
青石=緑泥片岩(緑泥石を大量に含む結晶片岩=緑色片岩)、徳島県の吉野川下部属群中の緑色片岩中に磁鉄鉱層が見られ、かつてたたら製鉄の原料として盛んに利用された。玉は緑色片岩が基調であり、その意味は鉄。玉=魂の拠り所=青石=鉄 

 


 

 

 

頭が高ーい!

こちらにおわす神社様を誰とこころえる、

先のブログの宇佐神宮から京都石清水八幡へ分霊を運んでいる際に嵐で屋島に避難し、地元で祭るのが始まりの讃岐の大宮神社様が見つめる先

 

祖谷にある大宮五社神社様だ!

 

皆の者!ひかえおろう!ガーン

屋島の大宮様は、この大宮様を真っ直ぐ見つめておられるのだ!

真顔

ちなみに、屋島の大宮神社様の東隣りでは、讃岐東照宮の家康様は阿波の剣山を穴が開く勢いで見つめておいでだ。

 

 

そして探検の妄想通り、きちんと神社紋は

更に

レリーフには

蝶の紋章

平家の落人かな

イの国探検隊

そして、祖谷には安徳天皇が屋島の戦いから逃れ荼毘にふされた場所がある。

浄瑠璃原作で義経さんが院の御所で「平家が滅んだのは屋島壇ノ浦の戦い」と語っている延長線上のよう。

 

 

 

 

讃岐生駒氏矢島生駒氏)
大名生駒氏、土田生駒氏、美濃生駒氏とも称される。

生駒豊政の妹が嫁いだ土田氏より子親重を養子に迎え生駒姓を与え養子分家としたのが讃岐生駒氏の始まり

元は六角氏傍系の土田氏、土田甚助。

土田氏には織田信長の祖母・いぬゐ、母・土田御前(織田信秀の継室)、はじめ羽柴秀吉に仕え重用された生駒親正が出る。

讃岐国12万6千石余り(当時)を与えられ高松城を新たに築いて大名となる。

生駒一正の時代に領内検地を実施し17万1千800石となる。

初代親正が豊臣政権の三中老として遇されるなど重用されていたが、1600年関ヶ原の戦いでは家門の存続を図るため親正が西軍に属する一方で、親正の子の生駒一正が東軍の徳川家康に属して戦う。

戦後、一正は丸亀城から高松城に移る。

1640年親正のひ孫・高俊の時お家騒動(生駒騒動)が起こり、騒動の責を受け出羽国(秋田県)由利郡矢島へ配流となり堪忍料として1万石が与えられた(矢島生駒家)。

 

龍源寺 (秋田県由利本荘市)

 打越氏の開基により即殿棼広を開山に招いて1623年(元和9年)に創建された寺である。

1640年(寛永17年)におきた生駒騒動により讃岐生駒家4代高俊が讃岐国高松から矢島の地に移されると生駒氏の菩提寺となり、一方でこの地域における曹洞宗の触頭となった。

1640年改易のときに甲冑が矢島に移されたが1869年に生駒氏から龍源寺に寄贈。
2016年、初代生駒親正着用の甲冑を讃岐生駒氏の菩提寺弘憲寺(香川県高松市)に寄贈し、高松への376年ぶりの里帰り。

 

生駒氏(いこまし)は、武家・華族だった日本の氏族。
戦国時代の武将および江戸時代の大名・旗本家、藩士家、明治後の華族の男爵家。本姓は藤原氏

生駒の名字は大和国平群郡生駒(奈良県生駒市)を本貫とする。
藤原北家、左大臣・藤原冬嗣の次男・藤原良房(忠仁公)の子孫が生駒の地に移り住み本拠となり、後に生駒を名乗る。

室町時代に応仁の乱の戦禍から逃れるため、家広の頃尾張丹羽郡小折の地に移住したと伝えられる。

一説では、藤原時平の曾孫・信義が生駒庄司となったことから生駒を称したともいう。
織田氏家臣として織田家統一・天下統一に向けた戦国時代を支える。

宗家の尾張生駒氏、養家の讃岐生駒氏に大別され、安土桃山時代に分化するが、江戸時代にも度々両家の交流が行われている。

 

 

 

龍源寺の名を妄想すれば、源は龍
龍=鰐=亀=丸
鰐=鸕鶿草葺不合尊=母・豊玉姫、祖父・豊玉彦=海神
豊島は母・豊玉姫、祖父・豊玉彦が居た伝承
男木島は豊玉姫の名から、鬼ヶ島の女木島は玉依姫の名から付いたとされ
屋島西町には鵜の羽大明神、鸕鶿草葺不合尊が生まれた場所の伝承
屋島の西側を流れる新川を鰐に乗り遡上したと伝わる豊玉姫は、上流の三木町の鰐河神社に祀られ
東隣りの鴨部川には和邇賀波神社で祭らる。
少し上流部には、静御前の祈りの毎日を送った薬師庵と御前と子の墓、後を追って自害した侍女の墓と並ぶ。
鴨部川を下れば神前地区で津田川とかつてはつながっていたと思われ、さらに下れば津田湾。そう、平安時代は「難破」の津(湾)へ注いでいる。
津田川を遡上すれば、四国最大前方後円墳富田茶臼山古墳、そこから那羅街道が始まり、二上命(天叢雲命)が祭られる山裾の空海の犬墓地区を通過して阿波の奈良、忌部山付近へ行ける。
高松市内の三か所ある通称三石神社には、鸕鶿草葺不合尊の叔母で妻の玉依姫が祭られる。
 
源は、海神
 
 
 
 
 
 

みなのもの!

また東北に細道じゃ!

とにかく勝鬨(かちどき)だ!

 

イ座 参るぞ!

(われらイの国天津神の末裔)

裔、裔、おーー!

 

 

 

 

イの国~東北への細道は、あり〼!真顔 

 

 

なんか隊長の無理くり感が出てないか?

ばか!聞こえちまう!

とりあえず勝どきで手を挙げとけ。隊長泣いちまうぞ。

UFO見たといえば、そうですね、だ。

 

 

けつねうろん妄想ジャンカー イの国探検隊日月ホトトギスがお伝えしました。

ではまたセキセイインコ青