イの国探検隊ファンの皆様、鰐積の皆様、アマでありカミでもある皆様、こんにちは。
イノクニタンケンタイ雑用係の日月ホトトギスです。
![セキセイインコ青](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/457.png)
四国八十八霊場結願にある石碑
摩利支天(摩利支天は猪に乗る、陽炎、邇邇芸命の母豊秋津姫、玉依姫命)
不動明王(大日如来、天照)
役行者(前鬼と後鬼が弟子。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の霊場でも開祖、修行の地伝承がある。)
女体山にある四国88結願寺
女体山は、女の体の山
津田川(ワニ川)沿い男山神社は、「男山相応の地に!」との天皇勅命で長尾寺の明印さんが建立
明印さんは、大伴の筋の菅原道真さんのお友達で、空海さんを大学で教えた岡田牛養先生の子孫
志度寺塔頭の普門院は岡田住職。
アマのタマとり伝承の志度湾から太宰府配流の菅原道真さんを見送っている。
「不期天上一円月、忽入西方万里雲」の詩を贈って菅原道真さんの心を慰めた。
【御詠歌】
あしびきの山鳥の尾の長尾寺
秋の夜すがら御名を唱えよ
香川の県鳥=ホトトギス=ウグイス
鳴くまで待とう・・・家康
家康=山王信仰
讃岐東照宮が真っすぐに見つめるのは、阿波の剣山
隣の大宮神社が見つめるのは、阿波の祖谷
松平頼重+龍+犬。松平頼重:讃岐国高松藩の初代藩主。
高松松平家の祖。水戸藩2代藩主徳川光圀(水戸黄門)の同母兄
妄想です!
長尾は何のしっぽ?の振り返り③です。
感覚で妄想探検してきましたが、振り返って何を感じてきたか、そこにまた感じるものはあるか並べてみたいと思います。
長尾寺はしっぽ関係では気になりまする
![流れ星](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/114.gif)
![うーん](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/069.png)
![叫び](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/254.gif)
![グラサン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/036.png)
![グラサン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/036.png)
千葉氏の妙見信仰の月星とは!
月=スサノオ
星=北極星(航海の方角を示す)
星は素戔嗚尊
千葉氏=天叢雲の子・天種子命の末裔
千葉氏は、阿波の伊笠山に祭られる天二上命、引いては、月読み素戔嗚尊の尾だ!
かな? たぶん、、、妄想では
朱砂の尾
讃岐の出土
スイジガイと考えられているのレリーフ
銅製(実物は東京国立博物館)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20231230/23/poch1270/a6/a2/j/o1080081015383605202.jpg?caw=800)
讃岐高松藩松平家墓地前にある藩士と思われる筧氏の墓
![ラブ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/006.png)
なんということでしょう!
うつぼ舟で流され三輪(東かがわ市引田・大内)の地に着いた孝元天皇の妹であり吉備津彦こと彦五十狭芹彦命(桃太郎)の姉・倭迹迹日百襲姫命。正一位水主神社の主祭神
讃岐の丹生小磯地区で両親を亡くし志度から摂津江口へ旅立った幼い長町磯(今様を極めた静御前の母磯禅師)、生まれてすぐの義経との間の赤子を殺された静御前。
木花咲耶姫の桜八幡神社で朔と親密になるセカチュウの庵治(阿春で菟道稚郎子の地)の亜紀。
難波津(さぬき市津田)から葛城(阿波)への涙の移動の仁徳天皇皇后・磐之媛。
厳島神社に祭られる市杵島姫命は、龍である紀氏の女性と妄想し、厳島神社への信仰は、アマテラスとスサノオの「誓約で生まれた」女神・宗像三女神。誓約とは意味深。
道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれるあらゆる「道」の最高神ととしての総本宮宗像大社。
巫女=大蛇=龍=鰐。
義経が駆け抜けた田面峠の和讃
妄想の7代・孝霊天皇の皇后(8代・孝元天皇の生母)が放つ光が、義経などの武将や静香御前と生まれてすぐ殺された静御前の子、さらに苦しんでいる人々を救うのだと云っている!妄想
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240421/06/poch1270/41/91/j/o1080081015428496729.jpg?caw=800)
難波津に注ぐ和邇川(山背河)河口
ここから仁徳天皇の皇后・磐之媛は奈良街道入口まで遡上
あの山が雨滝山(あめたきさん)(天多岐山かも)
その右側から裏へ回り込む様に川が流れています。
妄想の世界の中心。映画のセカチュウのロケ地。
亜紀がこの石段、丁度この位置からバイクを押して通る朔太郎を見て、声をかける交差点。
ブランコから振り向くと見守るように
元はこのはなさくや姫を祭った桜八幡神社の摂社・皇子神社
仁徳天皇の兄弟である菟道稚郎子を祭る。
(香川県高松市庵治町王ノ下)
妙見信仰の千葉氏の白井氏とは、山王信仰の徳川家康と関係し、京都市東山区鷲尾町にある霊鷲山法華三昧無量寿院雙林寺(沙羅双樹林寺)。
山王信仰は、豊臣秀吉もそう。
霊鷲山=鷲ノ山=石清尾山古墳群=石積=刳貫型石棺
飯盛山=飯野山=法然=鰐
阿波忌部族の天富命の孫鷲住王は、阿波国の脚咋別の始祖となり、善通寺市大麻町付近に出向き、「大麻神社」を再興した後、飯野山(飯盛山)の近くに居を構え、讃岐国造になった。
飯野山の南山麓には、鷲住王を祭神とする「坂元神社」が祀られ、その背後には鷲住王が眠る「鷲住王塚」。
おくのほそ道の芭蕉が崇拝する西行。
西行とは、日本の武士で僧侶、歌人。
俗名は佐藤 義清。父系は藤原魚名(藤原北家の藤原房前の子)を祖とする魚名流藤原氏。
房前は、コトデンの駅名として残る高松市牟礼の房前。志度の隣り。志度寺縁起の海女の玉盗り伝説の志度。
奥の細道は「三里に天津久米の誇りを保つより、伊邪那美の勢力範囲である倭(イの国)の月読命を最初に思う。今は、(大和に)譲り、ほかの人が居て、素戔嗚尊の影響が別の屋敷へ移って・・・」
長尾寺や志度寺と同じ補陀落山である円通寺の和尚を"生涯の師"と定めた良寛、
「裏になり 天下春命がくれば 飯野命(法然の祖)乞い ふと 草の庵を 出て 天津久米(紀氏)の三里に行けば 素戔嗚の 旧美馬郡穴吹町と美馬郡つるぎ町一宇村との境界に位置す八面山の尾根道にイの国の子孫らが 今を天下春命の時代と (糸=絹=)皇后「琉球十三マーイ」つく 十種神宝の霊力で死者を蘇らせる 河南省の嵩県から淮水に流れる「汝水(ジョスイ)川」がつけば、神のお告げを汚れから守る歌をうたい 汝水川が神のお告げを汚れから守る お互いに呼応し 龍・天村雲命現れる 長く続く天孫降臨の警護三十二神の一神で武蔵の秩父国造らの祖・天下春の日に照らされて 暮らすでしょう」
妄想につながってゆく
⑯虹(龍)立つ市場町白井はイの国の尾
市場は、天界や冥府といった他界と俗界の境界領域で、柿本人麻呂が亡き妻を想って、「軽の市」に行き、妻をしのぶ歌を作った。『枕草子』において、「おふさの市」=虹の市が登場し、中世の書物や貴族の日記にも、虹の立つところに市を立てなければならないという観念が確認でき、これは虹が天と地の懸け橋という考え方に基づいていたためと見られ、神々が降りる場であり、それを迎える行事として市。
虹は他界と俗界の境界、そして虹は龍であり神との約束として現れる。
徳島県の市場町境目には、祖谷ともとれる熊野権現がありその目の前のイチョウの樹の下で生駒氏は自刃、天二上命(天叢雲)を祭る伊笠山がある。
村上天皇の血筋と妄想の静御前の母・幼い長町磯が摂津江口へ旅立った補陀落山志度寺の志度寺縁起の海女(天)の玉とり伝承の真珠島には、清和源氏につながる生駒氏が、弁財天、吉祥天を祀りなさいと定めている。
弁財天は、河の女神
吉祥天は、北方の毘沙門天の妻もしくは妹
毘沙門天は、多聞天で金毘羅大権現
金毘羅大権現=鰐積=祖谷を北で守護
盂蘭盆(うらぼん、お盆ともいう)の行事で父母や祖霊を供養したり、亡き人を偲び仏法に遇う縁とする行事の六斎念仏。
沖縄のハイビスカス、お盆のホズキ(鬼灯)に通じる。
ほおずき市は、東京都港区芝の愛宕神社の縁日に由来するといわれている。
「愛宕」イ探的には、「阿多子」、神阿多都姫の尾。
城下町白井、のちの市場町白井宿
白井は、吾妻川と利根川の合流点にある河岸段丘上にある。
「吾妻」とは、天皇と皇后ではないか
「利根」とは、予の国が見える伊の国
⑰山門(ヤマト)国日巫女(ヒミコ)供養の尾!お盆
妄想が活発化昇天
これって、偽経とされる「盂蘭盆経」の「お盆」行事。
それは、主に男が執り行うもので、餓鬼道に堕ちた亡母への供養。
邪󠄂馬臺國の女王卑弥呼が国の統治に用いたとされる鬼道。弟が女王の国の支配を補佐。
餓鬼道に堕ちた亡母とはかつて鬼道で国を治めた女王卑弥呼のことではないかい!?
まさに、鬼道に餓えた卑弥呼だが男の支配権となり落ちたでは?にゃいのか!?
そして、りまりまさんのブログの「ブーゲンビリア」「蔓」から妄想がスパークしてコメントさせていただいた。
エビス様の蔓柏紋。柏に蔓はない。
そのことは柏葉+蔓。
柏紋といえば思いつくのは、社伝には天照大神の葬儀が伝わる式内大社・阿波国一宮論社 天石門別八倉比売神社(あめのいわとわけやくらひめじんじゃ)の神社紋は抱柏。
はじめは気延山(標高212.2m)の山頂にあったが、後に気延山南麓尾根の杉尾山の標高110m付近に鎮座。
1773年に書かれた文書には、鎮座から2150年、逆算すると紀元前378年となるそうだ。
御神体は、杉尾山
杉の尾
つまり、素戔嗚尊の尾
で、蔓は?
とりあえず脇においとこ
なんやかんやでたどりついた妄想で、
餓鬼道に堕ちた亡母へのお盆の供養とは
かつて鬼道を使って国を治めたヤマト国の亡き母
日巫女の供養の尾だ!
我がイの国探検隊員の諸君!
ついにイ探は、「三国志」魏書東夷伝倭人条の邪󠄂馬臺國の女王卑弥呼にたどりつきもうした!
宴は、たけなわ(竹縄)
市場町白井(群馬県渋川市白井)の地は、予の国が見える
イの国の尾
並べる
⑫月=スサノオ、星=北極星、千葉氏=天二上命の尾!
⑬イを胸に天二上命・千葉氏の尾・白井氏
⑭振り向けば悲運な姫たち
![ゲロー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/038.png)
千葉氏の妙見信仰の月星とは!星は素戔嗚尊
千葉氏=天叢雲の末裔
阿波の伊笠山に祭られる天二上命、引いては、素戔嗚尊の尾だ!
朱砂の尾なんだ!
阿波の伊笠山に祭られる天二上命、朱砂の尾と妄想した千葉一族は、讃岐高松藩にもいた。甲府藩士・疋田彦四郎の娘として誕生し、旗本・白井平右衛門久俊の養女。家宣の側室で7代将軍・家継の生母であるお喜世の方(左京の方・後の月光院)に仕えた大奥の絵島(江島、本名は、みき)。(みきつながりで妄想、阿波忌部三木家は大嘗祭で天皇からお願いされ麻織物アラタエを届ける)
千葉氏の尾の白井氏は、天津久米の紀氏の「三里」と同様に、表に出さない(出せない)が、きっとイの国の誇りを胸に刻んだ名と妄想し、日本人の名で様々な「い」とつくのは「イの国」じゃないか?とイ探は、妄想の海原へと出てしまった。
うつぼ舟で流され三輪(東かがわ市引田・大内)の地に着いた孝元天皇の妹であり吉備津彦こと彦五十狭芹彦命(桃太郎)の姉・倭迹迹日百襲姫命。
讃岐の丹生小磯地区で両親を亡くし志度から義経の母の出身の摂津江口へ旅立った幼い長町磯(今様を極めた静御前の母磯禅師)、生まれてすぐの義経との間の赤子を殺された静御前。
木花咲耶姫の桜八幡神社前で亜紀と朔は親密になるセカチュウの庵治。
瓊瓊杵尊は、吾田(あた)の長屋の笠狭(かささ) の碕(みさき) [紀] に上陸後、朝日の直刺(たださ)す国、夕陽の日照(ひて)る国、甚吉(いとよ)き所 [記] といって、ここに宮居(みやい)を建てたという。後世、これを笠狭の宮といい、この地を御座屋敷(ござやしき)とよんでいる。前方の竹屋ヶ尾(たけやがお)は、尊(みこと)の后、木花開耶姫が、彦火火出見尊(ひこほほづみのみこと)をお産みになった所といわれている。
愛知県豊橋市多米東町の春日神社では、崇峻天皇の時代、滝ノ谷の徳合長者の創建を起源とし、後に氏神春日明神を主神に村内7社を併せて八社大明神と呼ばれた多米町の氏神。歓喜院五世悦法和尚が言い伝えをもとに書いた「滝不動縁起」。6世紀のころ滝蔵人正時清という人が多米(豊橋市多米町滝ノ谷)の東に住み「滝山長者」と名乗った。時清は崇峻天皇(第32代)の頃、河内の国に行き、聖徳太子の説法を聞き、太子から徳合長者の名を賜(たまわ)り、太子の作った大日如来像をもらい受けて帰ってきた。以来、米が多くとれ多米村となったとか、埋塚古墳は長者の宝物の埋蔵地といった伝説がある。2代目の長者兼成は行基の作った千手観音と四天王愛染明王像を滝の谷(豊橋市多米町滝ノ谷)に祀った。村人達は、「朝日さす 夕日輝く榊のもと 黄金千杯 朱千杯」と徳合長者の繁栄ぶりを称えた。3代目の道儀は不動明王を祀った。しかし、4代目権五郎の時、源平の乱のころ滅んだ。
海女の玉とり伝説の志度小方には「朝日指す夕日輝く影の裏、黄金百万両有明の月」と伝わる。
木花咲耶姫は、大山津見神の娘(別名:木花之佐久夜毘売)。姉に石長比売がいる。
邇々芸命が、笠沙の岬で木花之佐久夜毘売に出会い、求婚したところ、父・大山津見神は喜んで、姉の石長比売を添えて結納品とあわせて献納した。
しかし、石長比売は容姿が醜いことを理由に返され、邇々芸命は木花之佐久夜毘売のみと結婚した。それを恥じた父神が言うには、娘二柱を共に献ったのは、石長比売を娶れば、天孫の命は岩の如く不動となり、木花之佐久夜毘売を娶れば、木の花の栄える如く栄えるであろう、という誓約(うけい)をしたためであったが、姉を返して妹のみを娶ったことで、天孫の命は木の花のように短くなるであろう、という。今に至るまで天皇たちの命が長くないのは、このためである、と「記」は説明。
仁徳天皇の兄弟である菟道稚郎子を祭る。
庵治=阿春で、庵治は四国最北の地。
難波津に注ぐ津田川(和邇川、山背河)河口から仁徳天皇の皇后・磐之媛は県道2号線(古・那羅街道)入口まで遡上。雨滝山の右側から裏へ回り込む様に川が流れている。
厳島神社に祭られる市杵島姫命は、龍である紀氏の女性と妄想し、厳島神社への信仰は、アマテラスとスサノオの誓約の段で、アマテラスがスサノオの十束剣を口に含み、三つにかみ砕き吐き出した霧から宗像三女神を生み、スサノオの物実から生まれたのでスサノオの子であると宣言された。女神・宗像三女神。
道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれるあらゆる「道」の最高神ととしての総本宮宗像大社。
巫女=大蛇=龍=鰐。
、車田神事、道祖神は庚申信仰と習合して青面金剛、「かのえさる」を転じて猿田彦神とも習合、庚申塔(2000基超えは阿波)、四国限定ふなと神の信仰圏は鮎喰川上流の阿波神山町に密集。
妙見信仰の千葉氏の白井氏とは、山王信仰の徳川家康と関係し、京都市東山区鷲尾町にある霊鷲山法華三昧無量寿院雙林寺(沙羅双樹林寺)。
山王神社祭は、イ探妄想では、立石山である剣山を祭る。
山王信仰は、豊臣秀吉もそう。
霊鷲山=鷲ノ山=石清尾山古墳群=石積=刳貫型石棺
飯盛山=飯野山=法然=鰐
阿波忌部族の天富命の孫鷲住王は、阿波国の脚咋別の始祖となり、善通寺市大麻町付近に出向き、「大麻神社」を再興した後、飯野山(飯盛山)の近くに居を構え、讃岐国造になった。
飯野山の南山麓には、鷲住王を祭神とする「坂元神社」が祀られ、その背後には鷲住王が眠る「鷲住王塚」。
おくのほそ道の芭蕉が崇拝する西行。
西行とは、日本の武士で僧侶、歌人。
俗名は佐藤 義清。父系は藤原魚名(藤原北家の藤原房前の子)を祖とする魚名流藤原氏。
房前は、コトデンの駅名として残る高松市牟礼の房前。志度の隣り。志度寺縁起の海女の玉盗り伝説の志度。
奥の細道は「三里に天津久米の誇りを保つより、伊邪那美の勢力範囲である倭(イの国)の月読命を最初に思う。今は、(大和に)譲り、ほかの人が居て、素戔嗚尊の影響が別の屋敷へ移って・・・」
長尾寺や志度寺と同じ補陀落山である円通寺の和尚を"生涯の師"と定めた良寛、
「裏になり 天下春命がくれば 飯野命(法然の祖)乞い ふと 草の庵を 出て 天津久米(紀氏)の三里に行けば 素戔嗚の 旧美馬郡穴吹町と美馬郡つるぎ町一宇村との境界に位置す八面山の尾根道にイの国の子孫らが 今を天下春命の時代と (糸=絹=)皇后「琉球十三マーイ」つく 十種神宝の霊力で死者を蘇らせる 河南省の嵩県から淮水に流れる「汝水(ジョスイ)川」がつけば、神のお告げを汚れから守る歌をうたい 汝水川が神のお告げを汚れから守る お互いに呼応し 龍・天村雲命現れる 長く続く天孫降臨の警護三十二神の一神で武蔵の秩父国造らの祖・天下春の日に照らされて 暮らすでしょう」
妄想につながってゆく
白井町の六斎市。
市場は、天界や冥府といった他界と俗界の境界領域で、柿本人麻呂が亡き妻を想って、「軽の市」に行き、妻をしのぶ歌を作った。「枕草子」において、「おふさの市」=虹の市が登場し、中世の書物や貴族の日記にも、虹の立つところに市を立てなければならないという観念が確認でき、これは虹が天と地の懸け橋という考え方に基づいていたためと見られ、神々が降りる場であり、それを迎える行事として市。
虹は他界と俗界の境界、そして虹は龍であり神との約束として現れる。
徳島県の市場町境目には、祖谷ともとれる熊野権現がありその目の前のイチョウの樹の下で生駒氏は自刃、天二上命(天叢雲)を祭る伊笠山がある。
村上天皇の血筋と妄想の静御前の母・幼い長町磯が摂津江口へ旅立った補陀落山志度寺の志度寺縁起の海女(天)の玉とり伝承の真珠島には、清和源氏につながる生駒氏が、弁財天、吉祥天を祀りなさいと定めている。
弁財天は、河の女神
吉祥天は、北方の毘沙門天の妻もしくは妹
毘沙門天は、多聞天で金毘羅大権現
金毘羅大権現=鰐積=祖谷を北で守護
盂蘭盆(うらぼん、お盆ともいう)の行事で父母や祖霊を供養したり、亡き人を偲び仏法に遇う縁とする行事の六斎念仏。
沖縄のハイビスカス、お盆のホズキ(鬼灯)に通じる。
ほおずき市は、東京都港区芝の愛宕神社の縁日に由来するといわれている。
「愛宕」イ探的には、「阿多子」、神阿多都姫の尾。
城下町白井、のちの市場町白井宿
白井は、吾妻川と利根川の合流点にある河岸段丘上にある。
「吾妻」とは、天皇と皇后ではないか
「利根」とは、予の国が見える伊の国
妄想が活発化すると、偽経とされる「盂蘭盆経」の「お盆」行事。
それは、主に男が執り行うもので、餓鬼道に堕ちた亡母への供養。
邪󠄂馬臺國の女王卑弥呼が国の統治に用いたとされる鬼道。弟が女王の国の支配を補佐。
餓鬼道に堕ちた亡母とはかつて鬼道で国を治めた女王卑弥呼のことではないかい!?
まさに、鬼道に餓えた卑弥呼だが男の支配権となり落ちたでは?にゃいのか!?
そして、りまりまさんのブログの「ブーゲンビリア」「蔓」から妄想がスパークしてコメントさせていただいた。
エビス様の蔓柏紋。柏に蔓はない。
そのことは柏葉+蔓。
柏紋といえば思いつくのは、社伝には天照大神の葬儀が伝わる式内大社・阿波国一宮論社 天石門別八倉比売神社(あめのいわとわけやくらひめじんじゃ)の神社紋は抱柏。
はじめは気延山(標高212.2m)の山頂にあったが、後に気延山南麓尾根の杉尾山の標高110m付近に鎮座。
1773年に書かれた文書には、鎮座から2150年、逆算すると紀元前378年となるそうだ。
御神体は、杉尾山
杉の尾
つまり、素戔嗚尊の尾
で、蔓は?とりあえず脇においとこ
なんやかんやでたどりついた妄想で、
餓鬼道に堕ちた亡母へのお盆の供養とは
かつて鬼道を使って国を治めたヤマト国の亡き母
日巫女の供養の尾だ!
我がイの国探検隊員の諸君!
ついにイ探は、「三国志」魏書東夷伝倭人条の邪󠄂馬臺國の女王卑弥呼にたどりつきもうした!
宴(円)は、たけなわ(竹縄)(武名は)
市場町白井(群馬県渋川市白井)の地は、予の国が見える
イの国の尾
![グラサン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/036.png)