マチスやピカソについて知りたくて購入したが、この
本の主題は広く現代アートだった。自分としてはワケワカメ
のゲージュツは興味ないが、現代アートの先駆けとして
解りやすく、ピカソ、マチスについて書かれていて
役立った。エラソーな物言いでないのも好感。
たとえば一九一七年に発表されたデュシャンの「泉」。
この作品は工業製品である便器がそのままアートとして
出品されたものだ。仲間のアーティストたちも「はたし
てこれはアートか?」と理解されなかった作品が、なぜ
今現在アートを代表する作品といわれるのか?さまざま
な作品を俎上に載せながら、現代アートの「わからない」
をごくフツーの人の人の立ち位置に立ち、難解な解釈か
ら解き放された「よくわかる」現代アートとの付き合い方
観賞法を探り当てる。
という本である。
興味があったのは、マチス、ピカソだけだったので、抽象画
の開祖カンディンスキーから始まる、ダダイズム、シュルレアリズム
アメリカンモダン等の歴史、作品の鑑賞などは
全部、追っていると疲れるので、省略。
この本では現代アートを二十世紀以降の芸術に限定している。従って
近代絵画の父、セザンヌについては作品の鑑賞はない。それで二十世紀
とは、どんな世紀なのかと一くさりありますが省略。マチスと
ピカソについてだけ感想を。
マチスの「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」(1905)という
作品を取り上げてマティスについて語っている。
実際に、こんな色をした顔はまずありえないだろうから、
この絵の色彩世界はマティスが独自につくりだしたものと
思われる。
★
さて、このマティスの「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」
は二十世紀が始まってまもなく描かれた絵である。顔のど真ん中
に緑の筋がかきこまれ、顔の左右、背景の左右と上下はまったく
違う色に塗られている。マティス夫人が実際にこんな顔をして
いたと思えないから、現実から乖離した色使いということになる。
しかも、それぞれの色面はべったりと平面的なもので、筆跡も
筆の動きがわかるほどはっきりと残っている。
★
絵画は、ルネサンス期に独立したアートとして確立して以来、
基本的にどれだけ巧みに三次元の現実を二次元に描き写すかを
追及してきた芸術といってよい。幾何学遠近法、空気遠近法
明暗法も、すべて絵画にリアリティーをもたせるために編みだ
された技術である。現実に近ければ近いほど、すぐれた作品
として評価され、そのためには筆跡もできるだけ残らぬよう
にていねいに仕上げるのがよしとされた。
絵画を現実に近く描くことが最上する考えは、十八世紀
の写真機の発明で揺るぎ始める。絵画は精確な写実性では
カメラに及ばず、またその事が絵画を写実、記録、現実の
忠実な反映という足枷から徐々に解き放される。それは
印象派から始まりセザンヌの思索を経てマティスのヘンテ
コな絵に繋がっていく。
この本で指摘しているマティスの絵画の特徴は以下のとお
り。
①マティスたちは、絵画について、それまでとは異なる
考え方をもっていた。とくに色彩については、ただ単に
描く対象を現実らしく見えるように使うだけのものでは
なく、色彩それ自体に表現する力があると見なした。とり
わけ、人間の内的感情や感覚を表現するのに色彩は重要で
現に色彩の組み合わせ次第で見る人は静かな印象を抱く
こともあれば、激しい印象を抱くこともあるのであって
色彩が作り出す自律的な世界を追求することこそ、画家の
なすべきことだと考えたのだ。
②マティスらは現実を正確に描くつもりなど毛頭なかった。
むしろ、自分の表現したいことを描くためには、現実と
異なる「間違った」色遣いや描き方もよしとしたのであ
る。これはルネサンス以来、現実の再現を第一義として
きた絵画の在り方とは根本的に違った考え方であり、マティス
らによって生み出された絵がラファエロやレンブラントのよう
にならなかったのは必然の結果である。
「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」(1905)
というところだが、純粋な絵の鑑賞として僕はマティスもセザンヌ
もあんまり好きではない。現実の再現を第一義として
きた絵画の在り方とは根本的に違った考え方であり、マティス
らによって生み出された絵がラファエロやレンブラントのよう
にならなかったのは必然の結果である。という理屈だが、ぶっちゃけ
セザンヌもマティスも絵が下手糞で、ラファエロやレンブラントのよう
には逆立ちしても描けなかったわけだ。でもまあ、商業的絵画の市場で
決して巧くない絵が売れる先鞭をつけたとは言える。
ピカソのように超絶技巧を持ち、その技巧を用いて、従来の絵画の
形式を打破したキュビズムの実験とはなんか違う気がする。
さて、ではピカソについて。アヴィニョンの娘たちについてピカソの
キュビズムについて簡単に記述している。
アヴィニョンの娘たち(1907年)
その前に面倒くさいが、簡単な年譜でピカソ(1881~1973)を確認してみ
よう。スペインの神童パブロ・カザルス・ピカソがパリに登って
来たのは、1900年、十九歳の時である。
青の時代(1901~1904)青を基調色に卓抜な写実力をもって、
パリの貧しき人々の日常を写しとった作品をてがけました。代表
作「人生」(1901)ほか。
バラ色の時代(1904~1906) パリの生活になじむにつれ、一転し
て画面は明るさを帯び、サーカスの芸人などが主題化されました。
代表作「サルタンバンクの家族」(1905)など。
プリミティヴィズム(またはアフリカ彫刻)の時代(1907~1909)
角張った人体形象を手がけ、キュビズムの起源ともされる名高い
名作「アヴィニヨンの娘たち」(1907)が生まれました。(後略)
分析的キュビズムの時代(1909~1912)目に見える対象の姿を
幾何学的な緒要素に分解して、写実様式との訣別を決定的にした
時期。代表作に当時のパリの名高い画商を描いた「アン
ブロワーズ・ヴォラール」(1909~1912)の肖像など。
総合的キュビズムの時代(1912~1918)分析的手法に
よって失われた形象や現実感を回復させるために、広告
媒体などの文字や写真などの文字や写真などを直接、画面
に貼り込むパピエ・コレという手法が活用されました。「
果物、グラス、ナイフ、新聞のある静物」(1914)など。
「教養としての近現代美術史」 三田晴夫
そのあと、1973年に死去するまでは、古典的手法やキュビズム
が混在するキュビズム以降の時代に区分される。
でまあ、本書に戻ってキュビズムとはなんぞや、というと。
描く対象を一元的にではなく、色々な方面から見て、あらゆる
見え方を細かい四角(キューブ)の断片にして一つの絵に
描きこみ、現実とは異なる新しい世界を構築し、存在の
真実を提示しようとしたものだ。
たとえば、ここに一つの円錐があるとしよう。これを
上から見ると丸である。ところが横からだと、三角形に
見えるはずだ。
ああ、書き写すの面倒くさい。要するに一つの視点だけ
ではなく一つの画面に複数の見方を取り入れて描いてる
訳だが、凡人とすれば何でそんなことすんの、と疑問が
湧いてくる。絵を描くのに、フツーの素人はこんな小難しい
こと考えないし、日展に行ってもキュビズムの絵なんて見た
とない。
キュビズムの詳しい展開は別稿でということで、疲れてき
たので、次の件でおしまいにしたい。
セザンヌから、マティスは現実に囚われない目を学び、
ピカソは事物の構造や関係を探求する目を学んだ。
しかし、俺はセザンヌってただの下手くそな絵描きにし
か思えない。