ぶっちゃけて言えば、全然、役に立たなかった本。都市論や時代相に絡めて江戸川を
論じているのだが、だからどうよという結論になってしまう。「押絵と旅する男」で浅草の
十二階の縁起などに一くさり、「パノラマ島奇譚」には当時、新興宗教が流行り、原始共産
社会的共同体の趣きがある武者小路実篤の「美しき村」が破綻したことに「パノラマ島奇譚」
との何らかの通底があることを匂わせ、少年探偵団で戦後すぐに存在した浮浪児たちを
集めてチンピラ別動隊が組織されたが、浮浪児がいなくなりチンピラ別動隊も消滅した等々。
で、だからどうなのよ。
大体、江戸川乱歩の小説を真っ当な文芸批評で扱おうにも扱える代物ではないのだ。ただの
優れたエログロ、ナンセンスであるだけだ。アダルトビデオから逆算して日本の社会を論じたり
永井豪のエロ漫画をあーだこーだ言っても仕方がないのと同様だと思う。
江戸川乱歩から外れるけど、気になる箇所が一つ。「D坂殺人事件」(1925年)ではSMプレイの
果ての殺人が事件の真相である。
マルキ・ド・サドの流れをくんだ、ひどい残虐色情者で、なんという運命のいたずらでしょう。一軒
おいて隣に、女のマゾッホを発見したのです。古本屋の細君は彼におとらぬ被虐色情者だったの
です。そして、彼らは、そういう病者に特有の巧みさをもって、誰にも見つけられずに、姦通していた
のです (略)ところがその結果は、運命のいたずらが過ぎたのです。彼らの、パッシヴとアクティブ
の力の合成によって、狂態が漸次倍加されて行きました。そして、ついにあの夜、この、彼らとても
決して願わなかった事件をひき起こしてしまったわけなのです・・・・・・・・
この時代でサド侯爵の小説は誰に翻訳され、どの程度読まれていたのか。SMという言葉まだなかった
ようだが、「被虐色情者」が娯楽の探偵小説に出てくるくらいだから、大正時代の性の嗜好は成熟してい
たのだろうか。谷崎潤一郎の「異端者の悲しみ」(1917年)にこんな件がある。
その頃、Masochistの章三郎は、何でも彼の要求を聴いてくれる一人の娼婦を見つけ出した。その
女に会いたさに、彼はあらゆる手段を講じて遊蕩費を調達しては、三日にあけず蠣殻町の曖昧宿を
訪れた。
多分、日本語で一般化はしていなかったので英語で書いてあるが、マゾヒストの願いを叶えてくれる
サディストの娼婦がいるくらい大正時代の性風俗は爛熟していたのだろうか。そこら辺のところを書いた
本がないものだろうか。