性に目覚める頃   室生犀星 | やるせない読書日記

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 高校二年か三年のまさに色気づいた頃に、読んだ本。主人公が懸想した

 

少女の家の玄関に置いてある、少女の雪駄の片方だけを発作的に、盗んで

 

しまう箇所だけ記憶にあり、その他の筋立ては全部、忘れてしまっていた。

 

多分、高校生の頃も、インパクトのある「性に目覚める頃」という題名に惹かれて

 

買ったのだと思う。「性に目覚める頃」以外は室生犀星を読んでいない。

 

 それでも、雪駄を盗むという場面に過度な興奮を覚えたので、あれは何だったのか、もう

 

一度読んでみようかなとニ三日来思っていると、上板橋南口の古書店の棚でこの本に遭遇

 

した。200円だった。

 

 巻末の富岡多恵子が書いた解説によれば、「性に目覚める頃」は1919年、室生犀星(1989

 

~1962)三十歳の時に執筆された。室生犀星は十代で俳句から文学活動を開始。犀星は俳号。

 

俳句から近代詩に転じ、萩原朔太郎とも親交を結んだ。詩業は二十代の終わりまでに上梓された

 

二冊の詩集に結実し、後に小説に転じ「幼年時代」「性に目覚める頃」「或る少女の死まで」の三

 

作の自伝小説が中央公論に立て続けに掲載された。

 

 犀星は63歳の父親が若い女に産ませた私生児で、幼少期に養子に出された。尋常小学校

 

を中退して、裁判所に勤めた。一高東大のエリートコースを歩んだ芥川龍之介などとは異なり

 

たたき上げ。室生犀星の表現の主調音に悲哀を僕は感じるが、このような生い立ちによるものだ

 

ろうと思われる。

 

 さて、感想でも。

 

 私(主人公)は十七歳で、養家はその地方でそれなりの格が伺われる寺社。優しい養父は出てく

 

るが養母は一切、登場しない。私は学校を辞めて寺の手伝いをしている。アリバイのような閑職で

 

あり、夏目漱石の小説の登場人物たち、「高等遊民」の趣もある。私は詩作に没頭している文学

 

少年で初めて投稿した詩編が雑誌に掲載される。

 

 私はペエジを繰る手先が震えて、何度も同じペエジばかり繰っていた。肝心の自分の詩の

 

ペエジを繰ることのできないほど慌てていた。やっと自分の詩のペエジに行きつくと、私はそ

 

こにこれまで見なかった立派な世界に、いまここにいる私よりも別人のような絵偉さをみせて、

 

しかも徹頭徹尾まるで鎧でも着て座っているように、わたしは私の姿を見た。東京の雑誌でな

 

ければ見られない四六二倍の大判の、しかもその中に自分の詩がでているという事実は、ま

 

るで夢のように奇跡的であった。

 

 そして、彼の作品を雑誌で見た、、市内に住む同い年の文学青年、表悼影(おもてとうえい)が

 

私に手紙を送ってくる。彼もまた短歌を詠んでいてお互いに啓発しあう仲になる。表も私と同じよう

 

に、勤め先の印刷工場をドロップアウトしてしまう。表は私より女に長じていて、何人もの女性をもの

 

にしていた。

 

私と表の文学を通じての交友をもっと掘り下げたなら、かなり面白い小説になったろうが、かなり

 

粗雑、「人間失格」の主人公と堀木のような掘り下げはない。小説は唐突に主人公が寺の賽銭箱か

 

ら小銭を盗む娘に性的欲望を抱き(恋愛の対象ではなく、純粋に性欲の対象である)、その娘の家

 

の前をうろつき、娘の雪駄を盗んでしまう小事件が語られる。

 

 義父から潤沢な小遣いをもらって遊んでる私は、時々は社務所の手伝いをしている。顔見知りに

 

なった参拝客に手癖の悪い、中年の女もいて、人気のない時に賽銭箱をこじ開けて、賽銭をかすめ取

 

る。私はそれに気づいて、物音をたて、中年女の盗難を注意するが、社務所に告げるこはない。中年の

 

女には、身持ちの悪い十六、七の娘がいる。背が高く器量はいい。娘もまた盗癖がある。私は記帳場に

 

ある節穴から、しばしば娘が賽銭箱から賽銭を窃盗する様を眺め、性的な興奮を覚える。

 

 私はそうした彼女の行為を見たあとは、いつも性欲的な興奮と発作が頭に重りかかって、たとえば、

 

美少年などを酷くいじめたときに起こるような、快い惨逆な場面を見せられているような気がするので

 

あった。

 

 娘は毎日来て、賽銭泥棒をし、社務所でも娘に疑惑がかけられるが、私は盗まれた分を建て替

 

えたりする。ある日、私は賽銭箱に娘宛ての手紙をいれて、娘の窃盗が知れていることを知らせる。

 

当然、娘は来なくなるが、ある日、偶然、娘のあまり裕福でない住い屋を知る。

 

 ある日、娘の家の前を歩いていると留守宅の玄関戸が開いていて、紅い鼻緒の雪駄があった。

 

私は発作的に留守宅に闖入し、雪駄の片方を盗んでしまう。

 

 盗んでしばらくすると、我に返り後ろめたさと、罪悪感に襲われ、一時間後にはまた、娘の家の

 

玄関に雪駄を所定の場所に戻した。

 

 とまあ、今、読めばどうという事もないのだが、高校生の時、読んだ時は我が事を書かれたよ

 

うな驚きがあった。青少年期の万引きは性欲の発露だという説もあり、少年たちは湧き上がっ

 

てくる衝動を制御できないのかもしれない。この小説の私が人の家に侵入して、雪駄を盗む

 

行為は立派な犯罪だが、性的な衝動はそういう分別を忘れさせるようだ。

 

 終盤は、結核によって表が死んでしまい、表の恋人の娘も結核に感染して死に至る予感で

 

終わる。とってつけたようなありきたりの結末という印象を受ける。