近所のバーで某若者系週刊誌で仕事していたカメラマン氏が横尾忠則について
彼はゲイなんだと言っているのに出くわしたことがあった。なるほど、そうなのかと
合点。自伝やら読んでもそれらしきグレーゾーンのことも書いているし、三島由紀夫
との交流や、その手の噂があった高倉健の大フアンであったことなど鑑みると、なんか
頷ける。カメラマン氏は横尾のプライベートのある問題についても言及したが、まあそれ
はえげつないのでブロブで書く事ではない。
この人、頻繁に宇宙人がどうだとか天使と交感したとか言っているが、これはどういう
精神状態なのか、病理的な基盤があるのかどうなんだろう。
本書は1992年から95年まで「claddy」に連載されたエッセイをまとめたもの。任意に
自分の好きな名画36点を選び、自分の思ったことを述べている。勿論、忙しい横尾のこ
となので背景の歴史やら技法やらの学術的なことは抜きにして、名画から受けた感応
を綴っている。まあ横尾忠則だからできる楽な仕事である。
横尾忠則の偉いところは、すでに世界的な大家なのに全然、偉ぶったところがないところである。
天才として自ら出来上がってしまったダリなんかとは大違いである。このような謙虚なところと
天使の啓示とか宇宙の真理を伝えるのが絵画であるとかの荒唐無稽が本書の売りである。
ところでその評論家の解説はほとんどイメージの意味や分析に終始し、ぼくは非常に
退屈な気分になってしまった。作品の背後にある制作の動機や思想が理解できなければ
これらの作品の意味がまるで伝わらないかのような解説の仕方であった。
15 キーファーは直観で観る
では、絵画はどういう風に観るのか。
芸術作品の純粋鑑賞にとって作品解説が時には邪魔になることがある。作品の制作と
同様、観賞もまた自由な態度が必要だ。「何が描かれているのか」ということは、さほど重要
ではない。観ればわかる程度でいいと思う。作品の前では衣服の胸のボタンをはずして、左右
に大きく開いてみせるような、そんな開かれた心で受け入れる気持ちが大事である。そうすれ
ば作家や作品の無意識な情報が、ストレートにあなたの魂に語りかけてくるにちがいない。
15 キーファーは直観で観る の結びである。健全で常識的な絵画の観賞論であるが、これで
収まらないのが、横尾忠則である。
ぼくは何度も言っているように、絵画の究極の使命は絵画によって人間の魂を開花させていく
ことにあると信じている。なぜかというと、絵画は神によって人間の身体を通じて顕現されるもの
であるからであるから、当然そこに神の意志が働かざるをえない。神の意志とは人間の魂の開花
を目的とするからだ。
9 スーチンの夢と直観
これなんかはまだいいほうで、チャネリング系というか完全にいっちゃってる箇所もある。
レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロはルネサンスが誇る三大天才である。この三人によって
地上に天上の美がもたらされた。まさに天上界が地上に送った神の使者といえる。彼らは地球人
というより宇宙人である。宇宙人の魂を持って地球に転生してきたのだ。
(略)
芸術はもともと天上界に存在するものである。その天上界の美を芸術家の魂を通して地上に
降臨させるのが神の目的であったはずだ。
18 神の使者ダ・ヴィンチの謎
そう言われても、俗人の俺には分かりようがないが、この荒唐無稽でいっちゃってるところが
うりなんでしょうがない。
まあ、横尾忠則に山峡の村に初夏が訪れている澄み切った風景画なんて求めてもしょうがない。
ヘンテコなのが横尾忠則なのだが、何回か横尾の展覧会で作品を観た素人の感想だけど、色が
汚くて嫌だった。塗り方もいろんな巨匠に比べて上手くなかった。
実は俺、ずっと前から横尾はイカモノじゃないかと思っていて、芸大出の絵の先生に横尾忠則
って絵、上手いんですかと聞いたことがある。案に相違して答えは、上手いですよ。絵の学校を
開いて教えてもらいたいくらいですよ。であった。
やはり、俺にはモノを見る目がないのか。
この本で一番、有益な情報。
〈毎日必ず絵を描くことを自分に義務付け、描かない日は罪の意識を感じ、同じ絵を何度も
何度も繰り返して、頑なに執拗に描き続けたのである〉
21 オキーフの我がまま
横尾のように、天上界やら神の意志を信じなかったら、それなりの画家になるには毎日、絵を
描くことを自分に課して頑張るということだろう。