三島由紀夫おぼえがき     澁澤龍彦 | やるせない読書日記

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年譜によると澁澤龍彦は昭和3年(1928年)生まれ。三島由紀夫は大正14年(1925年)で


三歳の差はあるが同時代を敬愛と文学者らしい相手に対する時には残酷な観察眼を有し交


際を続けた澁澤の三島に関するエッセイをまとめたもの。多分、三島にとっては澁澤が澁澤


にとっては三島が最高の読み手であったことは間違いないだろう。今回この本を再読して分か


ったのは当たり前のことだが二人はとてつもなく頭がいいことだ。まあそんなことは自明のこと


だが。三島の死について澁澤は大仰ではないが的確に言いあてている。が、今は三島の死に


ついてはどうでもいい。二人の交流が始まったのは昭和三十二年刊行のサド選集に澁澤が三島


に序文を依頼したことから始まり、二人の優れた文学者の交流の結実が澁澤の「サド侯爵の


生涯」にインスパイアされた戯曲「サド侯爵夫人」(昭和四十一年)であろう。澁澤はサド侯爵夫人


ルネの貞淑と献身にスポットを当て三島は更に問題を深化させ献身的に十数年サドに仕えた


ルネがフランス革命で夫が釈放された後、サドを拒絶し離婚した謎を論理的に解明した。まあ


事実はどうだか誰も分からないが(単に愛想が尽きただけかもしれないが)自分の貞淑や無辜


をジュスティーヌの中に描き永遠に怖ろしい文学の中に閉じ込めて自分は高みへ昇っていった


サドを拒絶するというドラマを三島を創造した。二回読んで気づいたことだが(澁澤の文章を引こう


と思ったがどこに書いてあるか分からなくなってしまった)ルネ夫人の貞淑に焦点をあてたのは


自分の好みが貞淑であり献身的愛情をゆうする女性であると澁澤は述べている。成る程、評論


でも伝記でも結局、書くことは自分を語ることだ。もしくは自分の経験でしかものごとを見れない。


矢川澄子のエッセイを読むといかにも我儘で甘え上手(十分女に甘える資格があるが)の澁澤


と献身的に尽くす矢川の姿が脳裏に浮かぶ。澁澤だったら女も献身的に仕え我儘も許すだろう。


澁澤龍彦ならばだが。能無しで不細工な凡夫は真似すべきではない。


出口裕弘(この人も頭いいが)との対談で「豊饒の海」とくに「天人五衰」について語っていて


「天人五衰」は(失敗作と言われているが僕はその破綻している処が三島の作品の中で一番好


きだ)今まで観念の人でしかなかった三島に初めて現実が寓意の結界を破って進入してきた


のを指摘している。僕もそう思う。大団円を迎えつつ本多が聡子のいる寺に向かう場面はそれ


までの三島にはない文体で書かれている。この対談は1986年鎌倉の澁澤の家で行なわれた。


澁澤と出口は旧制高校からの友達で仲の良い文学的技量のある友人同士で好きな作家につい


て語る素晴らしさがある。


  澁澤  あれで初めて、三島文学の中に<現実>が入ってきたんじゃないか。


  出口  あそこのとこはものすごく鮮明だね。


  澁澤  鮮明なんだよ。


  出口  車の窓が雨で曇っていたのが、あそこで急に晴れて、何もかもはっきり見えてきた


       みたいな感じで変に鮮明なんだ。


  澁澤  あれはだから、<現実>が入ってきたんだよ。


  出口  <現実>がね。


  澁澤  それまでは<観念>だったんだから。


  出口  それは何、『豊饒の海』の話?


  澁澤  『豊饒の海』の話。いや、というよりか。三島の全生涯において、あそこで初めて<現実>


      が・・・・・・・


  

文学的というのに相応しい対談ではある。読んでいて本当に文学的な昂揚を覚える。


アンディ・ウォーホルの日記を読むとウォーホルも実は普通の人であることが分る。ダリは心底おかしな


人間だったが。三島の場合、澁澤によれば生きることより観念が先行していた。



  出口  『仮面の告白』が出たときに、僕はまだ十代だったし、文芸評論的なタームなんかなんに


       も持っていなかった。だから<観念小説>の出現なんて思ったことはないけど、いまにな


       って考えてみれば、あれは<観念小説>のはじめての成功例だったのかもしれないね。


       日本での。かなりゲルマン的というか、フランスよりもむしろドイツじゃないかと思うんだけど


       骨格のある<観念小説>が初めて出て、観念的にわれわれを興奮させるというか、観念


       世界をエキサイトさせる初めての小説だったという気がするね。


  澁澤  そうだったね。あれの、だから極めて象徴的だと思うのは、『仮面の告白』の最初にあるエ


       ピソードね。「自分が生まれたときの光景を見たことがある。」というのね。それこそまさし


       一種の<デジャ・ヴュ>でしょう。<デジャ・ヴュ>といったって、生まれた光景を実際に


       見るわけじゃないからね。<デジャ・ヴュ>じゃないんだけどさ。でも、<デジャ・ヴュ(


       すでに)>なんだよ。<観念>というのは<デジャ>なんだよね。<現実>というのは


       われわれの前にあって、われわれがここから、それに向かっていくものが<現実>で


       しょ。



成る程、卓見ではある。三島は「鏡子の家」で現実の存在感を得られない人間を登場させているが


三島にとって現実とはそのようなものだったかもしれない。澁澤は「生まれた光景を実際に見るわけ


じゃないからね。」と言っているし僕も生誕の場面は小説上の創作かと思っていたが、




(前段として常識的に考えて生誕の記憶が通常あるわけがないとして)ところが、学習院初等科に入


学してまだ間もない頃、やっと馴染みはじめた同級生たちが、春の陽を浴びて走っている平岡公威


の姿を眺めながら、


「平岡さんは自分の生まれた時のことを覚えているんだって!」


といい合ったことを記憶している人がいる


                               「年表作家読本  三島由紀夫」 松本徹




三島は自分には無意識がない自分に関する全てのことは意識の裡にあると標榜していた。常識的


にはありえないが無意識がないのなら出生を覚えているのは当然のことだが。


もっと書きたいことはあるのだが疲れてきたのでやめよう。最後に一つだけ



   『サド公爵夫人』の初演のとき、第二幕が終わってから、モントルイユ夫人がルネに向かって


   いう台詞「清めたのは血ばかりではない」について、私はこういった。


   「あれはどうも、意味深な台詞ですね」


   すると三島は笑って答えた。


   「はっは。そんなことに気がつくのは澁澤さんぐらいなものだよ」




もう一度、「サド侯爵夫人」を読んでみたが、良く分からなかった。頭のいい人たちは違いますよ。