妊婦マーク | のんびりかめさん

のんびりかめさん

東洋医学と西洋医学の両方を学んだ医師として個人的な考えを書きます。ご縁がある台湾のことも書きます。

今は自分もバッグにぶら下げてますが、不妊治療中は見るのも辛かった。

しかも、敏感になっているから、必要以上に目についちゃう。

妊婦マークだけじゃなくて、おなかの大きな人、抱っこひもで赤ちゃん連れの人、

ベビーカー押してさらにバッグに妊婦マークつけてる人なんかみると、

もう嫉妬の大嵐、心の中はブラックな感情が吹き荒れていました。

 

つけてる方としては、万一の場合に、あ、この人妊婦だ、

と気づいてもらえるようにつけているだけだとしても、

嫉妬心満々で見る方としては、自慢してる、ひけらかしてる、みせつけてる、と感じてしまう。

自分が病んでる、ってわかっててもどうにもコントロールできない感情。

 

友人の妊娠も、相手によって、「本当に嬉しい!」と思える場合と、

表面上はひとこと 「おめでとう」 と言ってもそれ以上は意識から追い出す場合もあって、

心の狭い自分、素直に友人の妊娠を喜べない自分にかなりの嫌悪感を抱いていた。

 

職場においてある誰かのバッグについた妊婦マークを

そっとカバンの内側に隠して自分の目につかないようにしたり、

産休から復帰した後輩が仕事の合間に搾乳したのを

むき出しのまま共用の冷凍庫に入れてるのを咎めたり、

搾乳機をレンジや給湯室で乾燥させたりしているのには、勝手に紙袋にしまった挙句、

本人のいないところで他の同僚に、マジありえないんだけど!むかっ、とキレたりしていました。

職場復帰して頑張っている後輩にとっては、冷たい嫌な先輩だったろうなーと思います汗うさぎ

 

(※この件については、同時期に産休から復帰していた別の後輩から

  本人にそっと伝えてもらいました。その後輩も空回りしていたというか、

  ちょっと配慮とか想像力が足りなかったと思うし、私も過剰反応だったし、

  双方の立場の違いによるものと思います)

 

自分の中に、そんなどす黒いネガティブな感情が渦巻くことが、許容できなかった。

その感情を処理することに、けっこうエネルギーを消耗しました。

苦しかったよ、ほんと。

たまらず、友人や同僚に吐露したことも何度もありました。

でも、愚痴る相手は選ばないといけない、

聞いてくれる場合でもほどほどにしないといけない、

結局は自分で処理しないといけない、

ということも学びました。

 

そうやって少しずつ、しょうがないよ、そんな自分も自分だしね、と思えるようになった。

自分の中に、黒い部分があることがわかってよかったじゃん、と思えるようになりました。

誰しも聖人君子ではいられない。

良いも悪いもない、あるがままの自分をそのまま認めてあげる。

 

そして、そんな感情を理解してくれる人が一人でもいれば、もうそれで十分ありがたい。

 

経験しなくて済むならそれに越したことはないけど、

神様が与えた試練、人生の修行だったのだ、と思います。

少しは人間として成長できたんじゃないかな、と今では思っています。