12月13日(水)

前日から、この日がどういう展開を迎えるのかそわそわして、良く寝られず…

 

働きながらも、Sの退去時間の11時になるのをそわそわしながら見守っていました。

 

11時半、大家さんからメッセージがありました:

「Sは出ていかないばかりか、警察を呼んだ!本当にcrazyだ!」

 

メッセージはたったこれだけですが、私は正直、予想していたようになったなと言うのが実感でした。

 

後から大家に様子を聞くと、

 

11時に出ていくようにSに伝えると、Sは大家から身体的危害を加えられそうになったという理由でその場で警察に電話を掛けたようです。

 

警察が到着すると、Sを一目見るなり状況を察し(Sが精神病であること)、民事不介入との姿勢で帰っていったそうです。

 

重度の精神病患者が正常な人間に迷惑をかける(警察出動)瞬間をまざまざと見せつけられました。

 

それ以外にも、Sは、カナダに難民申請、ジュネーブでスパイ犯罪に抵抗するNGOの設立等の申請も行っていました。

 

11月後半からは、隣の部屋から、「私のビザステータスはどうなっているのか?」と苦情電話のように毎夜毎夜(時差を考慮してもカナダに電話しているようでした)カナダ移民局に電話をかけている声が聞こえていました。

 

11月末からずっとSの退去を心待ちにしていましたが、そこから2週間経ってもまだSは居続けているのかと、私は暗い気持ちになりました。

 

仕事が終わり家に帰るとSは平然としており、昼間に起きたことは一切触れてきませんでした。

 

私は何も知らないと思っているのでしょうが、都合のいい時だけ人間関係をうまく操作してやりすごそうとしているような印象を受けました。

 

 

12月14日(木)

大家から、Sが提出した抗議文に対抗する抗議文を書くつもりだからぴーなっつにも協力してほしい、と言われました。私目線で、一連の事件をどう見ているか、書き綴ってほしい、と。

 

私は、もうこの頃にはかなり疲れていたので、できるだけ客観的に、さっさと自分の視点(ねじ・くぎへの異常な執着、スタンドを壊されて弁償させられたこと等)を書きました。

 

大家には、明日15日に、強制退去を再度決行するとの旨も聞かされました。

今度は息子とその友人の男性2人を含め、絶対に出て行ってもらう、とのことでした。

 

大家の決意は固そうでした。

 

第三者としてその場にいてほしいと、大家には言われましたが、

 

Sの精神状況(12月になるとますます部屋にこもりがちになり、風呂にも入らず、身なりもボロボロで、そうとう精神的に追い込まれているように見えました)を踏まえると、暴れ出す可能性もあったため、私は同席するのをやめ、友人と飲みに行くことにしました。

 

最終週のSは今思えばやはり異様で、ぼろぼろなみなりに拍車がかかり、「NGO設立でかなり立て込んでいる。かなり忙しい」とずっとぼそぼそ言っていました。

 

部屋の中では、電磁波攻撃?を避けるためなのか、耳まで隠れるようなミリタリー帽をかぶり、私が帰宅すると、ドアの隙間からじろじろ私を嘗め回すように見つめていました

 

(これに対しては一度、きつい声で、やめてください!と言ったのですが、へらへら笑ってぶつぶつ言って、私の叱責は届いていないようでした)。

 

毎夜なぜか8時に出ていくのも謎でしたし(ジュネーブはレストラン以外、スーパーなどの店は7時には閉まります)、不信感が高まるばかりでした。

 

そして、そんな中、とうとう運命の退去日(2回目)が幕を開けました。