大変(笑)、お久しぶりです。

最後の投稿から半年以上経過し💦、1年の留学期間がとうとう最後に達してしまいました💦💦

 

ただ、今日、無事、3か月間コツコツと取り組み続けた修士論文を無事書き上げ、提出できたので、その旨のご報告兼久々の投稿とさせていただきます。

 

論文は表紙から、付録まですべてを含めて、22,000ワード、92ページの、(私にとっては)胸を張って皆に読んでほしい自信作となりました。

 

 

理論やら、方法やら、発見やら、結論を書き上げて終わりかと思えば、目次や謝辞や付録があり、まだまだ終わらない~~先は長いぜ~泣 と終わることのなさそうなトンネルをひたすら、終わりを信じて黙々と進み続けたというところです。

 

ざっくりとどんな論文を書いたか、お話しさせていただければと思いますハイハイイギリス

 

翻訳学、グローバルスタディーズ、コミュニケーションスタディーズにまたがる学際的な分野である、『ニュース翻訳』をテーマにしました。

 

学際的、というのがどういうことかというと、各方面の知識を統合した多角的な分析をしなければ深い議論ができないということです。

具体的には、私は翻訳学からのアプローチをしましたが、その際に、グローバルスタディーズのグローバリゼーションとローカリゼーションに関する理論、コミュニケーションスタディーズからはジャーナリズムに関する倫理論を引用しました。

 

というのも、翻訳学論の伝統的理論枠組みは、いわゆる文学作品の翻訳理論が中心で、ニュースという特異なタイプのテクストの翻訳を想定していない=カバーしきれないためです。

 

例えば、基本的に翻訳とは、「A語で書かれたテクストをB語に、翻訳者が出しうる最大限の努力をもって丁寧にST(原文; ソーステクスト)をB語のTT(翻訳文; ターゲットテクスト)として再構築していく」という前提があります。つまりSTとTTという存在が明確にあり、往々にしてTTはSTに従属するという了解があります。

 

しかしニュース翻訳では、その前提が当てはまらないのです。例えば、

  1. 時間的制約
  2. 1に関連して、不要情報の省略・必要情報の追加・段落構成の再構成といった編集作業が付随する
  3. 翻訳を行うのは往々にしてジャーナリストであり、翻訳を専業にしているわけではなく、また、自分を翻訳者とも思っていない。そのため、一般的に翻訳では許されないような踏み込んだ介入作業がTTで行われる
  4. STとTTのあいまいな境界線。TTは編集作業の中で、別のSTから情報を追記されたり、複数ソースが存在する場合。STとTTという二項対立が崩壊
  5. 翻訳は主に、STを忠実に再構築するのではなく、TT読者のわかりやすさが重視される

つまり、伝統的な翻訳学の理論的枠組みが全く機能しなくなってしまうというわけですガーン

 

私がどのようなテーマで分析を行ったのかというと、日本語と英語という文脈で、各メディアが日本語から英語、またその逆のニュース翻訳の際、どのような変化をたどるのか、特に下記の二つの点を分析しました:

  1. グローバルニュースの翻訳ではどのようにニュースがローカライズされるのか?
  2. 国益に反するニュース記事の場合、中立性が求められる翻訳は、どのような影響を被るのか?

ニュースは、主に2つのジャンル、ニュース記事と社説を分析し、大きく3つのトピック(移民問題、ウクライナ戦争、北朝鮮問題)から分析しました。

 

トピック選定や、ニュースメディア選定、分析方法などは割愛しますが、ひとつ面白い発見をここでは共有します。

 

それは、国益が絡む記事の場合、翻訳もそのあるべき透明性を保持できない可能性が高い、という点です。

 

ジャーナリズムと思想、その倫理性については多くが語られてきましたが、それを翻訳という視点から論じた論文は、そう多くないのではないかと思います(少なくとも日英ニュース翻訳という分野では)。

 

自分の書いた論文が、僅かであっても学問分野の発展に貢献できていればいいなと願うばかりです。

 

なにせ学士で書いた論文は、論文と呼んでいいのかわからない代物だったので、生まれて初めて、頭を悩ませながら、書いた論文がこうやって形と残ることが嬉しくて仕方がありません。

 

9月は日本帰国をするので、9月中旬が提出期限でしたが、8月28日に提出しました。その関係で、8月いっぱいバカンスに行ってしまったスーパーバイザーの助けをほとんど借りることなく、校正サービスと自力でここまでやれたんだ!!というのも自信を増長させます。

 

提出した瞬間、莫大な達成感に襲われるのかと思いきや、

「私はここでの目的を達成した。もうここに存在する意義はない。帰ろう」

という気持ちになりました。とても不思議な感覚でした。

 

英国の小さな町で、この1年間過ごし、愛着もわきましたが、やはり、この街に私が滞在したのは、あくまで修士課程を修了させるためだったんだなと、しみじみと感じました。

 

もちろん、ここから去るのは名残惜しいですが、次のステップが待っています。

 

人生は、人も、場所もそうですが、うまい別れ方がわかりません。

この町に、今後の人生でもう二度と住むことはないんだろうなと思うと、どうお別れしたらいいのか、よくわかりません。

 

とはいえ帰国日は近づくわけで。

ここ数日は、一人で行ってみたかった場所を日帰りで巡っています。

 

時間があると思っていた時には気づかなかった美しさを、今になって痛いほど感じる。やはり、うまい別れ方はまだできません。