先ほど会社のカウンセラーと年内最後のカウンセリングを完了。

 

休職期間を楽しく過ごしていると、延長したいという誘惑に駆られるが、一歩踏み出してこの期間を脱出しない限り、自分の中での一歩が踏み出せないこと、だからこそ1月に復職に向けたプロセス(復職可能の旨の診断書、産業医との面談、異動先部署調整等)を開始し、2月からは復職を目指して動いていきたい旨、伝えた。

 

自分の一存で、自分の人生を進めることができると気づけたから言えた↑。

休職期間を延ばして逃げ続けることもできるが(逃げる、という言葉を使っている時点で、自分の中では休職を後ろめたいものだと感じるほどには回復している)、それは私の望むところではない。

フェアでない。それでは自分のアクションに誇りを持てない。

 

あくまで愚直で、ドジで、こけそうになりながらも進んでいくのが自分だと思う。

なによりも、やりたいこと、進みたい道を見つけてしまった今は、こそこそ立ち回って規則の抜け道を探し出したり、会社を恨んでモンスター化したりする、そんな労力すらかけるのが惜しいほど、自分の道を拓いていくことに真摯でありたい。

 

本日は神谷恵美子『こころの旅』を読了。

 

 

赤ん坊のころから、学齢期、青年期、壮年期、老年、そして死の瞬間までのそれぞれの人間のこころの変遷過程をたどるもの。

そして、著者自身の生い立ち、母としての経験、自身の人生を経る中で、実際の経験に裏付けられた彼女自身の血の通った言葉で、こころ、について描かれている。

 

自分が青年期にいるため、青年期についての心に残る記述を抜粋する。

  • いわゆる「脱サラ」現象は、こころの屈折に耐えられなくなったために逃げ出す場合と、もっと本当にやりたいことがある、という深い自覚による場合とがあろう。後者の場合には、終身雇用制度の下に安住できるのに、そこから飛び出すという冒険をあえて冒すわけである。
  • やむに已まれぬ本心の願いから、社会や親の期待に背いて新しい道に行こうとするからには、自分のこころが自分に挑みかけるものに対して応戦の覚悟が沸き返っているに違いない。
  • しかし大部分の青年がいったん就職すればそこに一生収まっているのは、そこがちょうどよく自分が合っているか、またはほかに「死ぬほど」やりたいことがないためか、家族のその他の生活の重みがのしかかっているからであろう。
  • 「自分には、本当にもっとやりたいいことがあるのに!」、というときほど、外に見える人と、その人のこころの内容とがかけ離れているときはない。

『神谷恵美子日記』に綴られた、あくまでも自分の使命に執着しやみくもにその責務を遂行しようと努めた彼女の人生に想い馳せながら(そんなに知ってるわけじゃないけど…)、

 

 

その人生を生き抜いた人だからこそ書ける、確固たる説得力に圧倒されていた。