久しぶりに晴れた!ので、今日は朝ランニングをして、コートを着込んで、神田川沿いを散歩した(都内在住です)
合計1.8万歩。なかなかではないでしょうか笑
道中、神田神社、湯島天神に立ち寄り、こんな状況なので神頼みでも、、と特に記憶にも残らない他愛もないお祈りをし、
飯田橋のCANAL CAFEでゆっくり冬のお日様が沈みゆくのを本を読みながら感じていた(激寒)。
冬の寒さも本格化し、温かい飲み物もすぐに風に吹かれて冷えてしまう、、。
思い返せばCANAL CAFEに前回訪れたのはちょうど心療内科を初受診し、適応障害と診断されたあの日。
情緒不安定で、あの日も神田川沿いをとぼとぼ泣きながら歩いて、早くこの状況を抜け出したいと強く願っていた。
苦しくて、流れ落ちる涙もそのままに、マスクが涙の粒を跳ね返して、ポロリポロリと上着を伝って道に落ちていくのもきにせずに、ただひたすら川沿いを歩いていた。
あれから3週間しかたっていないものの、今週に入ってようやく、回復と思える兆候が見えてきた。
- ご飯が食べられるようになった。朝は自然にお腹が空き、さて何を食べようかとワクワクする。←そういえば、永らく新たな1日がワクワクする!という感情を失っていたように思う。今年度の始め(パワハラ部署に異動直後)は、毎日どんな新しい仕事が待っているのかワクワクしながら朝の支度をしていたのに、いつの間にか、朝は機械的に起き、食パンを口に突っ込み、髪を巻き、適当に服を引っ張って出勤という無機的な日常の繰り返しになっていた。
- 料理をするようになった。←これまで大抵、日曜にその週の作り置きをして、手作りの弁当をこしらえて出勤していたのが、だんだんそのやる気もなくなり、ご飯と冷凍食品を放り投げるだけのお弁当になっていた。休みに入って、やっと少しずつ料理をする余裕が出てきた(今日はワカモレとチーズ&スパムオムレツとバゲットとワインの簡単だけど手作りディナーを食べた)。
- 太った。←幸か不幸かこの1週間で1キロ増えていた。食べられるようになったことがこのように数値に出るのはうれしい。太りすぎませんように、、笑
- 表情が明るくなった。←今日ふと鏡を見ると、なんとなく顔にさしていた陰が無くなっているような気がした(あくまで主観ですが…)。
- 一人が寂しくなくなってきた。←先週・先々週は一人ではとてもとてもやっていけないくらいの孤独感にさいなまれた結果、家族・恋人・友人にヘルプを求めずにはいられなかった。それが今週はそう思わないまま金曜を迎えられそう。
- やる気が出てきた(かも)。←休むだけでなく次に向けて動き出さねばというものすごい焦りと無気力のはざまで、ある種の挫折感にさいなまれていたのが、ようやく順序だてていついつまでにこれを仕上げようと考えられるようになってきた。
確実に良い方向に向いていることを嚙み締められるのは本当に喜ばしい。
適応障害は人によっては別の精神障害(うつ病、人格障害、発達障害など)が隠れている場合や、治療開始が遅れて回復までに大幅に時間がとられる場合もある。
現在適応障害の判断基準となるDSM-5によると、ストレス因から離れると症状は6か月以上持続することはないとされている。
適応障害はその他の精神障害と比べて、回復しやすい軽度な異常かもしれないが、こじれるとそれこそより深刻な症状へ発展しかねないという可能性も孕む、意外と怖い病気でもある。
少しでも、何かわからないけどとにかく自分が自分じゃない!!と少しでも思ったときは、躊躇わずに心療内科に行ってほしい。その点、私は自分の決定を誉めたいと思う。
おそらく私はかなり早い段階で駆け込めたのだと思う。人によっては、そのくらいの気分の落ち込みは我慢すれば治ってたよ!という人もいるかと思う。
しかも、適応障害という名称がそれほど広く知られていなかった時代は、ただの甘えであると見なされて、今の自分みたいにゆっくり休職期間を過ごしていることもままならなかったのかと思うと、(未だに心療内科や精神科の扉をたたくのは様々な諸要因から躊躇されがちだが、)それら医療機関の門戸をたたく敷居が低くなったことは非常に歓迎されるべきことだと思う。
今日は帰り道に丸善で適応障害関連の書籍を立ち読みをしていた。その中に、適応障害を感謝できる日が来ますようにという文字があった。私はすでにその段階に来ていて、このようなことがない限り、ここまで深く生きがいや今後のキャリアについて考える機会はなかったかなと強く感じる。
(確かこの本↓)松﨑 博光『新版 マジメすぎて、苦しい人たち』 単行本(ソフトカバー)