ワインを飲みながらブログを書きます
休職期間もとうとう2週間に突入しました!
最初の一週間は、何をしていいのか、オロオロしており、とんでもないが休んだなんて心地もしなかった。
(おまけに会社から引継の連絡や定期的な確認の連絡もあり、やや離れたようで離れきれなかった)
孤独すぎるひとり時間を持て余した結果、あれやこれやといろんな起こってもいないことに想像が駆け巡り、ひとり不安になった。。
先週金曜日と今週月曜日(今日は水曜日)に、それぞれ、心療内科の医師と会社カウンセラーと面談を行った。
医師とは、「ぼちぼちやってます・・・」と言ったら、それは安心!ならもう大丈夫そうだねと3分くらいで面会終了。
カウンセラーとは、「実は孤独に耐えきれず、知り合いにあったりできるだけ外に出るようにしているんです・・・」と言ったら、それも含めてちゃんと先生に報告しなきゃいけないと忠告。
自分の状況を他人に伝えるのはなんと難しいことでしょう。
今日はこんな本を読んだ:浅井逸郎『「適応障害」って、どんな病気?: 正しい理解と治療法 (心のお医者さんに聞いてみよう) 』
わかりやすいイラストで概要把握に関しては理解の捗る内容となっており、特に治癒方法として行動療法とその行い方に後半で重点的にページが割かれていた。
ブログでは何回かに亘って自身の適応障害発症の原因について分析してきたが、
その他、どう言った原因があったのか、この本を読んで追加的に自分のどのような部分が適応障害を招いてしまったのか、を改めて考えてみた。
- 自分の性格的な問題:
- 「できない」と言えなかったこと。今でもそうだが人の前で弱みを吐露することができなかった。できないということは即ち自身の無力さの露呈でありプライドが許さなかった。
- 自分の体力を過信し、キャパシティーを超えたレベルで仕事を受け持ちすぎた。
- そして仕事を抱え込み、誰にも相談できず、パワハラ環境で潰れてしまった。
- 仕事の性質・適性の問題:
- 配属部署は仕事のスピードが速く、自身の仕事にじっくり腰を据えて行うというよりは、テンポよく自身の仕事は後回しにして様々な以来の対応が求められることが多かった。また、人員の関係で副担当を配置することができず、仕事はたまるけど聞ける相手がいない、、という状況が醸成されてしまった。
- 一方、自分の得意分野(英語を使った渉外や文書作成)においては様々な人から信頼されており、やりがいをもって行えていた。その点についてはストレスはなかった。
- パワハラ問題:
- 感情の起伏の激しすぎる上司の、理不尽な怒りの爆発についていけなかった。だんだんいつ怒られるのかと萎縮するようになり、いつの間にか自分の中で上司を実物以上に恐ろしい人物像に書き換え誇大妄想に囚われていた気もする。
上記のように分析すると、当初はパワハラだけが理由かと思っていたのだが、よくよく考えると、自分の性格として直さなければいけないポイント、自分にはどのようなタイプの仕事があっているのか(マイペースに専門性を生かせる仕事)、というのを捉えなおす機会になった。
上記の本には、簡単な認知行動療法のやり方が紹介されていた:①ストレスに感じたこと(出来事、事実)、②自身の認知、③その時の感情、④その時の身体反応、⑤それについての行動
ストレスに感じたことがあった時、①から⑤について振り返ってみると、②にその人独特の認知のクセがあり、それが③以下に連動しているとのこと。逆に言えば、⑤を変えるとそこから連動して②を変えることも可能になるとのこと。
これは、患者による自己理解・気づきの上で効果が出るものであるが故に、ある程度長期間にわたっての取組が必要となるようだ。
確かに振り返ってみると、いくら上司が怖くても、私にはこの仕事もこれもこれもあるから、今はその仕事はできません、というチャンスはいくらでもあったかもしれないが、言われたことは忠実にやり遂げよう、このくらい出来るべきだ(命令型思考)という思い込みで自身を追い込んでしまった部分もなくはないかもしれない。
自分の認知の歪みは自分だからこそ気づかないものだから、上記も自身で行った分析だからポイントがずれているかもしれないが、こんなに時間があって掘り下げる機会があるからこそ、ある意味今はより冷静に、客観的に評価できていることもあるかと思う。
会社からは、2月頭に復職の打診が来ている。
会社に従順な私は2月にまた復職するのであろう。でも、もうこの会社・仕事への興味は失せており、より喜びを感じられる人生のために準備を進めようと思う。