休職3日目となるが、この時点ではまだ、長めの連休、、という感覚で、特段休職している感覚もなく、またそれに伴う罪悪感もない。
罪悪感なんて、感じる必要もないのかもしれない。
適応障害という診断は、もしかしたら医者が会社への牽制の意味も込めて下した決断かもしれないし、何よりも精神疾患は、グレーゾーンが広く、他の疾患と違い確実に診断なんてできるのかとも思う。
もちろん人それぞれに、その診断をもらった背景、個人のストレスの受け取り方に問題がある場合もあるから、私はちゃんと、自分がどうしてもう働けないから休ませてと医者に駆け込んだ背景を整理しないといけないと思う。
私の場合はパワハラという確実な組織の問題があって他責に足ると思う圧倒的な立場にあるけれど、その立場にあっても、やはり自省は怠りたくないと思う。
まずはちゃんと適応障害を理解したい。
理解することは、ダイレクトに自分の理解にも繋がり、将来の進み方をもう見誤ることはなくなる、というか、ぶれた方向性に進みかける自分をなんとかして抑え込むもう一人の自分との戦いにおいて、ブレることがなくなると思う。
選択を求められた際に、誰しも逡巡する。
Aを選べばBは選べなくなるからだ。
どっちがいいのか選べないときは、大抵それは自分にとってどうでもいいことなのかもしれない。
自分の意志は決まっているのに、それでも悩んでしまうとき、そして逆の選択をしてしまうのは、それは自分の気の弱さ、自信のなさに因るもの。他人に決定権を託すと言う自分への裏切り行為。
そして、本当は違う選択をしてれば、、なんて後ろめたさと後悔の念を抱えながら、いやいやでもこれは〇〇さんも▲▲さんも賛成してくれたんだから、といって他者判断に依存し自身の声を押し潰して日々を過ごすことになるのだろう。
私には、思い当たる節がある。
社会通俗的にこうするのが正しいはずだと〇〇さんが言ったから、就職する私を見て親が喜んだから、そうしないと周りにどう思われるかわからないから、と言い訳をつけて、やりたいことに目をつぶって、石の上にも三年と耐えて、やりたいことはこれじゃないという自分の声を押し殺しながら進んできた。
やりたいことをできる仕事をしていたならば、パワハラがあっても早々に転職を決めて職場から逃げ出す勇気を振り絞れたかもしれない。
私が休むことになったのは、そんなエネルギーはもうなかったから。
やりたくないことの経歴をあたかも実績のように語る転職活動がどうしても耐えられなかったから。
(11/17に一次面接を受けた会社からは、二次面接へ進めたが、この理由から辞退した。もしかしたら順調に進めていれば、11月中に転職先が決まってこの仕事からおさらばできたかもしれない。でも、全然後悔はしていない)
こうやって時間を得た今、私は、もう今度は自分を大事にしようと思う。負のサイクルを突破しようと思う。
他責でなく自分の決断を尊重し、その責任も、取ろうと思う。
責任を誰かのせいにし続け、誰かの意見に気を遣いすぎると、身体を壊すということを学べたから。
ポジティブで元気一杯だったはずなのに、気持ちは塞いですぐ涙がこぼれる、ヘラヘラ笑っているのに本当は絶望感に満ちているーこんなに脆弱にならないと気づかなかったのはやや痛い気がするが、それでもこの時点で気づけた。もう絶対間違えない。