照れくささもあり、中々
口にはできないが、両親について
触れたいと思う。
親父やお袋は立派な人だと思う。
中学生時代は
ばっちばちに喧嘩もしてきたし、
ボロカス言ってきた暗黒時代もあるが
俺は両親を尊敬している。
俺の親はどちらも苦労人だ。
親父はお袋さんもいなく
中卒で妹の世話をしながら働いていたそうだ。
そんな親父の父さんは料理もしない頑固一徹な人だ。
当時、子供の親父には料理の仕方なんか分からない。
それでも米を炊いて味噌汁を作って
父と自分と妹の弁当も作ってたそうだ。
ある時、小学生の妹さん(俺の叔母)が
親父に弁当に梅干しだけは恥ずかしいと
言ったことがあるそうだ。
次の日の弁当に納豆が入っていて
学校で泣いたらしい。
俺も世話すぎだから分かるが
きっと焦っただろうなー。
俺も妹の弁当を頼まれて作って、
肉しか入ってない脂っこいって
怒られた経験がある。
こちらとしては
喜ぶと思ってやったんだけどな。
今では笑話だろうが、親父は
苦労してきたんだなと胸が痛くなる話だ。
そんな人が自分で勉強して
会社を起こして経営しているんだ。
頼る人もいない中、
小さな会社を潰すことなく、
60人の従業員と家族を守り抜いた。
自分が苦労してきたからと
俺らには色んな事を経験させてくれた。
言葉は少ないが子煩悩な人だったと思う。
大会には必ずきて、
ブレブレのカメラ捌きで
撮影してくれていた。
遅くして俺と妹を授かったもんだから
大変だったんじゃかいかなと思う。
あの年齢になっても一切弱音はかず
仕事をやり通した。
そこに尊敬している。
お袋もなかなか苦労人だ。
そして努力家だ。
塾に行く金もなく、
独学で勉強して、当時女性はほとんどいない
東京理○大に現役で行った。
(学費が安かったかららしい)
お袋が当時の受験の時に、
女性が防衛大に入れたなら
お袋は防大に入りたかったらしい。
(学費が無料だから)
お袋は卒業後は大学の助教と
予備校で働いていたらしいが、
お袋のいた予備校の講師にはランクがあるらしく
Sランクでバリバリ稼いでいたそうだ。
でもまあ、お袋のすごいところは
キャリアというより、
明るいところなんだがな。
俺のお袋はバツイチだ。
まあ、親父もバツイチなんだが。
お袋は前の夫と同居の義家族にDVされ、
(暴力や暴言らしいが詳しくは分からない)
今では考えられない事だが、
お袋が一緒に食卓を囲むことは許されず、
1人で台所で立ちながら食事をしていたらしい。
そんな最中、娘を連れて逃げて、
離婚も数年かけて裁判したらしい。
相手はキャリアがすごく
離婚には断固反対。
なんなら、DVに対して
名誉毀損とまで言われたそうだ。
まあ、あちらが部が悪く、
多額の裁判費を負ったものの、
娘を引き連れて
なんとか離婚をしたらしいが、
今度は娘の親権をめぐり、また裁判。
お袋は結婚前までは
バリバリキャリアウーマンだったが
仕事を辞めて専業主婦になったお袋は
時に娘をお姉さん(俺の叔母)に預けながら
裁判と仕事をしていたそうだ。
もちろん、その場暮らしの働きでお金もない。
頼るのは姉しかないお袋は
生活能力がないと
最終的に裕福な元旦那家系に裁判で負け、
娘も連れてかれ、一切連絡を取ることを
禁じられ、娘と6歳で生き別れになったそうだ。
娘=ようは俺の姉に当たる人だ。
別れの日にランドセルを買ってあげて、
お父さんにもその姿を見せておいでと
お袋は姉には言ったそうだ。
姉はあまり乗り気ではなかったそうだが、
お母さんが言うならと、
行ってきますと不安げにも
進んでいく姉の姿を見送ったのが最後らしい。
姉のことで生きた心地がしてなかった
お袋のもとに学校から電話があったとの事だ。
お母さんに会いたいと泣いていると。
お袋は暫く仕事も出来なかったそうだ。
自分の食べ物より身なりより
何度も何度も
遠くからでいいからと
姉の姿にを見るために小学校の近くまで
通ってたらしい。
DVはお袋にしかしてこなかったそうだが、
トラウマしかないお袋は
自分が娘と会ったとバレたら、
娘が何されるか分からないから
遠くで見るしかできなかったらしい。
あとはきっと自分を悪く吹き込まれてると
思ってるから、娘に冷たい目で見られるのが
怖くて、遠くで見るのが精一杯で
抱きしめにも行けなかったとの事だ。
しかし、いつしか娘は転校し、
引っ越され住所を変えられたそうだ。
電話も分からない。
これで本当の生き別れになった。
どれだけ辛かっただろうか、計り知れない。
俺が今の年齢になり改めて考えると
胸が裂けそうな話だ。
姉はどんな子ども時代を過ごしたのだろう。
突然、お母さんに会えなくなったのだ。
お母さんと泣いていた姉の話を聞いた時に、
俺は子どもながら、泣いた。
そう。これは俺が小学生のとき、
お袋が鬱病になった時に
泣きながら話してくれて知ったことだ。
それまで事実を知らなかった。
全てにお母さんへと書かれた
子どもの字の手紙が何通かと、
知らない女の子の赤ちゃんから
小学生くらいまでの写真のアルバムが
開けちゃだめと言われていた棚の中に
閉まってあったのは知っていたが、
それがなんなのか子どもだった
俺には分からなかった。
それくらい苦労して生きてきたが
あの鬱病事件以来、
お袋はそれを周りに見せない。
まあ鬱病事件の時は俺も地獄だったな。
色々な事に耐えて
気丈に明るく振る舞っていたお袋が
突然壊れたんだ。
その頃、親父は海外出張が多く、
家にいないことばかりだった。
当時、子どもだった俺には
本当に辛かった。
お袋が人が変わったように怒り、
物を投げ、泣き崩れる。
それを見て泣く妹を守る日々。
親父に言ったら、お袋が怒られ、
離婚し、俺らとお袋は捨てられると思い、
ずっと黙っていた。
いい子にするから
お母さんを早く普通に戻してくれと
何も飾られていない神棚に
水やお菓子を備えて何度もお願いしていたな。
そして泣きながらお袋が
散らかした後片付けをしていたもんだ。
お袋が落ちついた頃を見計らって
何回もお袋の財布から千円とって
(千円以上取るのは罪悪感)
5キロ先のコンビニにチャリンコで
3人分の弁当を買いに行ってた。
あとは妹用に毎回お菓子を一個買ってた。
子どもながらの兄貴心で
何が喜ぶかなと限られた予算で
やりくりしてた。
思えば、あの頃から
俺は人に何か買うのが好きなようだ。
まあ、お袋は弁当食わなかったけど。
あんま食わないからガリガリだったもんな。
だから当時子どもの俺には
顔も分からない姉の事が苦手だった。
毎回、お袋がその子の名前を呼んで泣くんだ。
そんで、
いきなり出て行って帰ってこねえんだ。
(たぶん、あてもなく探しに行ってた)
毎回、お袋が自殺するんじゃないかと
怖くてたまらなかった。
姉の存在は苦手だったが、
嫌いだったり、恨んだりは一度もなかった。
むしろ、お母さんに会えなくて
辛かっただろうなとか
お袋を姉な会わせたいとか、
あとは、姉がいたら
自分と妹を守ってくれたのかなとか。
なんかそんな感じだった。
お袋が壊れるから苦手だった。
それだけだった。
でも帰ってきたお袋は優しくなる。
ごめんね、ごめんなさいと
抱きしめて家事をしてくれる。
なんかとんでもなく辛くて
忘れていたが、今は平和で何よりだ。
今では鬱病も克服しているしな。
まあ、そんな鬱時代以外は
いつでも明るいのだ。
そして人に優しいお袋だ。
子育てが終わったら人の為に生きたいと
言っていた人だ。
今でも言ってる。
すげえなと思う。
なんだかんだ、
この両親のもとに生まれて
俺は幸せだ。