Pat Metheny Group - Are You Going With Me?

 

 

1982年発売のパット・メセニー・グループとしては3作目になる『オフランプ(旧邦題「愛のカフェ・オーレ」)』(Offramp)より。邦題は「ついておいで」

 

本作からベースがスティーヴ・ロドビーに交代し、パーカッション&ヴォイスとしてブラジルからナナ・ヴァスコンセロスが参加しております。

 

後日、パットは「初期のメセニー・グループの作品では、今でも聴くに堪えられるのは『オフランプ』以後の作品で、それ以前のものは大学生のバンドのようなものだ」という趣旨の発言をしています。だから本作は、パット本人が認めた実質上の「パット・メセニー・グループ・ファースト・アルバム」という位置づけになるのでしょうか。特に「Are You Going With Me?」と「James」の2曲は後のライヴなどでもよく演奏されています。

 

 

私は中高生の頃はパット・メセニーを軽く見ておりました。クラスメイトに大のパット・メセニー、ファンが1人いて、彼に「アメリカン・ガレージ」あたりから12曲ほど少しだけ聴かせてもらってから、ずっとパットの事を「ただの軽いフュージョン」だと思っておりました。当時の私にはジャズ(?!)といえばマグマやアレアでした。そして、メセニーのデビューのきっかけが、プロとしてのキャリアがゼロの時点で大御所アーティスト(ゲイリー・バートン)の楽屋を訪問して、目の前で演奏を聴かせたら、すぐにバークリーで生徒ではなく講師に推薦されたという逸話も、何か「優等生のフュージョン・ギタリスト」という嫌みな印象を私に抱かせていました。

 

まあ、そういう自分も周囲にプログレを薦めたり、学校の音楽の先生を相手にロックを語るときには「イエスのリック・ウェイクマン、グリフォンやジェントル・ジャイアントのメンバーは英国王立音楽院(または、大学)を卒業(中退)している」だとか、「PFMのメンバーは正式な音楽教育を受けた人達ばかりで、プレモリはアコーディオンの世界チャンピオンだ」とか、そういう類の自慢話をついついしてしまうので、人のフリ見て我がフリ直せなんですけれども。とにかく、二十歳を過ぎるまでは私の視界には、メセニーは全く入っておりませんでした。

 

二十歳を過ぎたあたりから、プログレ系をひと通り聴き周って、一流どころ以外のシンフォニック・プログレの底の浅さを感じるようになり、かといって当時流行っていたオルタナティヴ、アバンギャルド系(レコメン系とか、ノイズ系とか)にも違和感を感じておりました。前衛音楽に対する反発心から、ケルト・トラッドや地中海音楽、中世ルネサンス音楽にも手を出した時期もありましたが、裾野が広大すぎて、ピンポイントでは自分の好みを確立できず、プログレ側からつまみ食いした「民族音楽」と、実際の「民族音楽」との大きな隔たりの中で、マーキーなどで紹介されていた「70年代イタリアの最後の秘宝」とかを惰性で買っては、23回聴いただけという浪費を続けていました。

 

そんな頃にレンタルCDで、当時のPMGの新譜だった『レター・フロム・ホーム』を借りて、なんとなく「悪くないなあ」と何度か聴いている時に、CD店で『オフランプ』のジャケットに目が留まりました。ECMのレコード・ジャケット独特の、荒涼とした別天地の雰囲気を、さらに重く、暗くしたあのジャケットに何故か一目見て惹かれるものがあったんです。『レター・フロム・ホーム』は、松任谷由実がライナーノーツで書いていたように、都会の中のオアシス的な「ガラス越しの大自然」を感じる作品でした。松任谷さんは、都会と自然を対比させてそう書いていましたが、私はそこに「実際に住んでいる人間の息遣い」も少し感じ始めていたかも知れません。ペドロの澄んだヴォーカルや、ブラジル音楽の影響、ライルのシンセの音色などに初めて接して、素朴な新鮮味を感じておりました。

 

そうやってメセニーの音楽に少し入り込んで行きつつあった時に、『オフランプ』の真っ暗闇の中の反射光ようなジャケットに対面して、「このアルバムは一体どんな音楽なんだろう」という好奇心だけでジャケ買いをしてしまいました。結果的には、『オフランプ』は今に至るまで「マイ・フェイバリット・アルバム10選」に確実に入るほどの内容でした。プログレの世界ではアルバム・ジャケットは非常に魅力的なのに、音楽の中身が非常に残念な事が多々あるので、めったにジャケ買いはしないんですが、メセニーの『オフランプ』はジャケ買いが大正解だった数少ない例ですね。音楽の内容とアルバム・ジャケットがあんなに一致するのも珍しい、というほどに私にとっての『オフランプ』は、あのジャケットそのものです。

 

『オフランプ』の音楽を一言で言うと「暗室」だと思います。私は写真を現像した経験は一度もないですが、邪魔な光を外部から一切入れてはいけない「暗室」の中でこそ、光る事のできる音楽。第一印象からずっとそう思っておりましたし、今でもそうですね。『オフランプ』と『ウィチタ・フォールズ』の2枚を90分テープに録音して、何度も繰り返し聴きました。当時はメセニーを一流ギタリストだとはあんまり意識しておりませんでした。当時から彼のギター・プレイは本当に素晴らしいものですが、なぜかそうは感じなかった。アラン・ホールズワースのように上手さ、速さ、正確さが嫌でも耳につくようなプレイとはかなり違うギター・プレイ。1985年くらいまでのメセニーは、ギターの技巧や演奏内容よりも、音楽をどんな風に作りあげるかに全神経を次ぎ込んでいた「音楽家」だったと思います。

 

私のプログレ耳のせいなのでしょうか。『オフランプ』を最初に聴いたときから、「この人はプログレ系の人だ」と確証はないけど勝手に直観しておりました。その直観は、「ファースト・サークル」「ミヌワノ(68)」そして、アルバム『イマジナリー・デイ』で確信にさえ変わり。『ザ・ウェイ・アップ』において、「メセニーはマイク・オールドフィールドと同類の人間だ」という思い込みにまで発展しました。ネットなどでの意見交換で、メセニーとオールドフィールドの異同を語ると、反応は半信半疑ですね。両者が似ているという意見は、マイク・オールドフィールドのファンの方に多かったです。『ザ・ウェイ・アップ』を絶賛していたオールドフィールド・ファンの人もいました(私も大好きです)

 

逆に、メセニーをジャズ・ギタリストの側面から見ている人は、オールドフィールドの作風とは似ていないという人が多かったです。ミニマル・ミュージックやフォーク的な素朴さを基本にしているあたりとか、あの異常なほどの完璧主義とか、類似点は多いと思うのですけれど。メセニーはソロ作ではかなりジャズ成分が高いので、単にギタリストとして見ると、両者は正反対な所がありますね。PMGに感じるプログレ既視感の多くは、実はライル・メイズの作り出した成分だったような気もします。いや、メセニーもジャズ・トリオ作以外の『シークレット・ストーリー』や『オーケストリオン』なんかは、そっち系(プログレ的)だと思うんだけどなあ・・・

 

『オフランプ』は約42分間「暗室」の中で外部の光に全く邪魔されないで、意識を仮死状態にできるアルバムだと思います。タイトル・チューンの「オフランプ()」が、ややオーネット・コールマンが憑依しすぎているので、CDのボタンを「ポン」と押して「ジェイムス」に飛ばす事もしばしばですけど。最初に1曲目の「舟歌」を聴いた時から「高校生の時に聴かせてもらった、爽やかなフュージョンとは正反対の、自分の大好物の『音』じゃないか、これは!」と嬉しすぎる喜びでした。「オー・レ」はアトール『夢魔』か、ピュルサー『ハロウィーン』を精製・醸成したかのような映像的な深い暗闇を感じます。つづく「エイティーン」の行き先の見えない夜道をさ迷うような彷徨感もたまらない。突然の雷雨のような「オフランプ」を経て、「ジェイムス」「ザ・バット・パートⅡ」では街の灯りが少しずつ見えてきて、住み処に帰って静かに眠りにつくような安らぎの雰囲気に包まれながら、1つの旅のような体験ができるアルバムだと思います。

 

アルバム『思い出のサン・ロレンツォ』や『ファースト・サークル』は、やや曇り空の雰囲気はあっても、随所に眩しい太陽の陽射しを感じる作風でもあります。「思い出のサン・ロレンツォ()」の冒頭の陽光の煌めきのような眩さとか、「讃美」の雨上がりの虹が架かったような太陽光とか、そんなメセニー・グループの王道的な明るさは『オフランプ』(1982)『ウィチタ・フォールズ』(1981)2作からは、ほぼ感じないですね。この2作の時期のメセニーが、それまでの「大学生のような音楽」から脱皮したいと意識していたものが音楽に投影されたのか。それともライル・メイズの資質が特に反映されているのか。

 

『愛のカフェ・オーレ』というナイスな邦題からは、とても想像できないような、自己の内面を深く誠実に見つめるような真摯さが、この時期のメセニー(グループ)にはありました。この時期のメセニーの「独特の暗さ」がずっと謎でした。でも、メセニーを聴き始めた頃に『オフランプ』に出会えたのは幸運でした。

 

Are You Going With Me?(ついておいで)』は、前半部分の淡々としたパートはレコード・バージョンの方が好きです。やはり落ち着いてこの「暗室」のような世界に沈殿できるからです。フリートウッド・マックを意識した、まるで催眠術の暗示をかけるような一定のリズムが、人の鼓動を落ち着かせるように心地よく時間を忘れさせてくれます。

 

メセニーがローランドのギターシンセを炸裂させる後半は、レコード・バージョンもアルバム全体の流れに沿ったギター・プレイで大好きなのですが、ライヴ・アルバム『トラヴェルズ』のバージョンの方が圧巻ですね。あれを真剣に聴くと、聴き終った時に汗だくになります。体では汗をかいていなくても、心の汗が噴き出るというしか表現のしようがないほどに。

 

 

ここ最近は、パット・メセニー名義でyou tubeに過去音源が多くあがっておりますね。中でも、このライヴ音源は特に良いですね。

 

Are You Going With Me? (Live CHICAGO 87)

 

 

1987年のシカゴでのライヴ音源のようです。「ついておいで」は何バージョンもあがっています。ライヴでも定番曲でしたし、メセニーにとってはまるで「大学を卒業した後の、本当のプロとしてのデビュー曲」のように、いつまでも、何度でも演奏して行きたい曲なのでしょうか? マイク・オールドフィールドにとって『チューブラー・ベルズ』がそうであったように。

 

やっぱり『トラヴェルズ』の荒ぶるような演奏の方が好きですが、このプレイもまだ後の「分別のついた大人」に成りきっていない奔放さを感じます。620秒あたりから、低音弦から一気に駆け上がって行くような怒涛のフレーズを8回ほど連発します。『トラヴェルズ』バージョンはこの畳み掛けが本当に凄かった。後になるほどに、こういうド・ストレートな豪快な弾き方は、やや少なくなった印象があります。メセニーのギター・プレイって『レター・フロム・ホーム』から『シークレット・ストーリー』のあたりで、ほぼ隙がないくらいに完成されて行きましたよね。そんなメセニーの進化・上達を聴いていくごとに、昔は「凄い!凄い!」と驚き、喜んでおりました。でも、ここ10年くらいは1980年代以前のプレイの方が良いと思うようになりました。

 

 

Are You Going With Me? LIVE IN TOKYO 85

 

 

やや、音質が軽くて良くないですが、ギター・プレイは結構良いです。

85年の東京、観れた人が羨ましい・・・

 

 

これは『ザ・ウェイ・アップ』ツアーですかね。

 

Are you going with me? - Pat Metheny Group

 

 

ピカソ・ギター、何度観ても外観で圧倒されます。これならハープを習いに行った方が早い・・・いやいや。左手の普通のギター・パートがベース専用になってるのが面白い。

 

1150秒過ぎから、駆け上がり奏法を5回やってくれています。この曲はやっぱりメセニーが、一定のリズムの中で他を気にせずに、ギターシンセという「玩具」を目一杯に無心になって弾ける曲だから、ずっとレパートリーに入れているのでしょうね。そういう意味ではドラマーなどとの格闘技のような「スクラップ・メタル」とは根本的に違う曲です。

 

 

Are You Going with Me?

 

 

ポーランドの女性歌手、アナ・マリア・ヨペックとのコラボレーション・アルバムから。2002年発売ですが、ノンサッチからも2008年に発売されています。意外に違和感なく自然に聴けます。こういうアレンジは、どうしても個人的には『チューブラー・ベルズⅢ』を連想します。かなり似てるんじゃないかなあ。

 

 

アントニオ・サンチェスを相棒にしてからのメセニーは、かなり大人になったというか、完成されたジャズ・ギタリストになりましたけれども、色々な「ついておいで」を聴くたびに、ギター少年の魂をいつも心に宿している御人なんだと再認識させられます。