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pmkrhrのブログ

日々の雑記。自分の過去を振り返るため用です。

ここ最近見た夢。

■木造の大きな家

知人の家みたい。お邪魔する。
玄関を開けると吹き抜けでたくさんの階段が見えた。
一番上の部屋に行ってみたい。

手前の階段を上がるが、下にしか降りられない。
他の階段を探す。
ハリーポッターに出てくる階段のように複雑。
下りたり上がったりしたけれど、結局行けなかった。
今度じっくり考えながら上がろうと思った。

■鏡を見たら、顔が包帯グルグル巻きになっていた。

伊藤さんに聞いたところ、相手は5人なのに立ち向かって行ったらしい。
ミイラのようだった。
自分では全く覚えがない。

■植物に水をあげる。

部屋が吹き抜け。
店舗兼自宅のよう。
階段の上から見下ろしているような感じだった。

いたるところに植物が置いてあって、水を上げていた。
いろんな人がショッピング?してた。

素敵な部屋で気に入っていた。
お客さんにも良い部屋だね。って言ってもらえた。

■白い動物になつかれる。

道を歩いていたら知り合いの家の前に通りかかった。
どうしているかな?と思って立ち止まったら
中から知人が出てきた。

一緒に犬も出てきて、歓迎してくれた。
その後、白い鶏や他の大きな白い鳥も出てきて
お腹の上に乗ってきた。
顔周りが羽根でモフモフだった。


******
包帯グルグル巻きは初めてだったので、すごく怖かった。
人間関係で知らず知らずのうちに傷を負っていたようで
「手当」→包帯は治療に取り掛かっているみたい。

伊藤さんに教えてもらったくらいなので
無意識に大ケガしてたんだ。

この夢を見た日。
ちょうどマンションの玄関先で立ち話をしていた時
エレベーターが開いて、元旦那出てきた。
一緒にいた人と挨拶をしたけれど、ちょっと動揺してた。

それが何か関係してるのかな。。。包帯。。

追い越していたのに気づいた。

今の私よりも年齢が4~5年下の時。
当時の私が中学3年生だった時の記憶。

調子を崩し、父が病院に連れて行った。
高血圧?だったのだろうか。
うんうん唸りながら車椅子に乗っていた。
父が押す車椅子はたぶん、検査かなんかで
いろいろ移動していたような。

その間もずっと大声で唸っていたっけ。
周りの目も気にする事なく、
どちらかと言うと、大げさでアピール度が高い人だったから
あえてそうしていたのかもしれない。
すれ違う人が振り返ってまで見るほどの姿だった。

子供心に、中年になるとこうなってしまうの?と
不安になったのを覚えている。
父の恥ずかしそうな姿。
母はもともといろいろ気にしない人だった。

結局、2週間の入院生活での診断は
特にどこが悪いという原因が見つからなかったので
「自律神経失調症」ということだった。

更年期もあったんだと思う。

こういう病気は遺伝するから、中年になったら
私もなるんだろうって思っていた。

実際、私は20代の頃と30代の頃に自律神経失調症になり
長い間安定剤のお世話になっていた。

遺伝もあるし。
なっても大丈夫な環境だったのだと思う。

今自分があの頃の母親の年齢を越した。
うんうん唸るほどの事態にも遭遇していないし
高血圧でもない。ビッグな肥満でもなく。

一人で生きていると、病気が出来ない。
休めないという緊張感がそうさせているのかもしれない。

もし、今。
離婚もしていなくて、家族と一緒に暮らしていて。
学資保険も無事に満期を迎えていて。
自分の通帳が知らないうちに0円になっていなくて。

そんなに精一杯働かなくても大丈夫な環境だったとしたら。

安心して更年期障害を迎えていたかも。
なんて、3連休後の出勤日に考えてた。

仕事でイライラする事が多くなったけれど
あとの症状は出ていない。

まだ大丈夫かな。


寝ながら排便。
起き上ると白いズボンのすそが便で汚れていた。
大量に付着してしまった便を
うわ~と思いながらふき取っていた。
ニオイは無かった。

解釈
留まっていた感情の浄化。
何かを拭く行為は、過去の思い出・嫌な思い出などを綺麗にしたい
気持ちの表れであるとされます。

とあるので、今回の大便の夢は金運ではなく
感情の整理や浄化を意味しているようでした。

ひとつひとつ、ほどいてゆきたいと思います。
事あるごとに台所にある小さな鏡に
話しかけていた人でした。

それは、世間話しをしているようだったり
何かを訴えていたり。

まるでセキセイインコが鏡に映った自分の姿に
話しかけているような。

日常の中でよく見かける光景でした。

鏡の中の人は
思う存分、遮られる事無く
好きなだけ話せる
「唯一の相手」だったのかもしれません。

高校に入ってから、私は自動二輪の免許を取りたいと思っていました。
後ろに乗るよりも一緒に走りたい。

当時の彼がバイク乗りだったので免許が欲しいと思ったのです。

当然母は反対し、ヒステリックになり
最後は自分のお金で教習所に行くなら行けと言ったのです。
それならいいと。

もちろん、そうするつもりでしたので
バイトで稼いだお金で教習所に通い始めました。

了承を得たので何も後ろめたい気持ちもなく
スムーズに事は進みました。

数か月後、もうすぐ卒検という頃に
「教習所に通っている」と話しました。

その時、言われた言葉は

「そんなことは言っていない!」でした。

バイト代で行くならいいと言った事実でさえ
無くなっていたのです。

約束って、なんだろう。
会話って、なんだろう。
矛盾。
覆す。
無かったことにされる。

やり場のない怒り。
怒り。
怒り。
悔しい。
道理の通らない勝手な言い分。
押しつけ。

高校生。
非力。

悔しさと怒りでいっぱいになった瞬間でした。

なんで?
どうして?
それしか思いつきませんでした。

この時の記憶から
もしこの先、子供が出来たら絶対に筋の通った話をする。
たとえ、小さくて理解が出来ない年齢だったとしても。
ごまかさず、誠実に。

そう決めたのです。


私がよく言われていた言葉は

「なんでも!」
「どうしても!」でした。

些細な疑問はほとんどこの二つで返されていました。


私と同じ思いをさせてはいけない。









毒親。

今はそういう呼び名があるのでとても分かりやすいカテゴリになっているけれど
昔はそんな呼び名もなく。
自分の置かれている状況に混乱や怒りしかありませんでした。

未だに残っている記憶がいくつかあって。
それは、多分消化されることはなく
これからも事あるごとに思い出すんだろうと思っています。

小学校中学年ぐらい?だったと思います。
季節は冬だったと。

私は遊びに行く為に玄関で靴を履いていました。

こたつに入っていた母が兄に向って
「なんであの子はあんななんだろう!」
とこれ見よがしに、わざと私の耳に入るように
大声で悪口を言っていたのです。

何をしでかしたかは覚えていません。
ただ、母は自分の思い通りにならないと大声で怒りだすタイプの人間でした。

私の悪口は必ず誰かに向かって
間接的に耳に入るように話しだします。

時には見知らぬ人にも。

たまたま通りかかったおじさんにも。
お風呂場で隣に座ったおばさんにも。

いいつける。

そういう感覚なんだと思います。
自分のこの感情に同情してほしい。
おかしいのはこの子なんですよ。

他人には笑いながら話し出すのです。

小学生の私が
靴を履きながら思ったのは
「早く、大人になってこの家から出たい。」
でした。

9歳とか10歳とか。
確かそのくらいの年齢でした。

悔しさと怒り。
力の無い自分。
親の支配下でしか生きられない自分。
もどかしかったです。

今でもたまにこの記憶がよみがえってきては
嫌な思い出としてやって来るのです。



あけましておめでとうございます。

・・・一体、だれがこのブログ見てるんだろう(笑)

標準のアクセス解析で訪問されている人が
少なからずいるらしいというのがわかって。

ここは、対誰かに向けて記載をしていないので
とても毒々しいはずで。

どこのだれかはわかりません。
私の文章で具合が悪くならないようお願いいたします。


今日は久しぶりに一人の夜です。
梅酒を飲みながら静かにPCに向かっています。

先日の流星群は見事に外しました。
1時間以上ベランダで粘りましたが、南から来た雲に
どんどんさえぎられてしまって。
見ることは叶いませんでした。

昔、思いがけず流れ星を見ることが出来たのは
学校の帰り道でした。

自転車で走っている時に
ふと真正面の空を見上げた時と同時に
右から左下へと星が流れたのを見ることが出来ました。
とても興奮していたのを今でも覚えています。

明日から仕事だっていうのに12時過ぎまでベランダにいました。
朝ちゃんと起きられるかの心配や緊張を逃避するかのように
ベランダで星が流れるのを待ちました。
年の初めに流星群を見ることが出来れば。
きっと、今年1年上手く乗り越えられるような気がして
なんとしても見たい気持ちでいっぱいだったけれど。

そう上手くはいかなくて。

今年も静かに始まりました。

ちなみに。

初夢はおねしょをする夢でした。



取引名義は、歴史上の人物と同じ名前だった。

父親かと思っていた振込名義が本名だった。

ではなぜ偽名で取引していたのか。

犯罪者だった。

数年前に女児連れ去りで逮捕されていた。
現在42歳。
しかも、同じ住所に今も住んでいる。
父親と二人暮らしかと思ってた。。

じゃなかった。。。

怒りを通り越して、気の毒に思えてきた。

ネットって便利なツールだけれど
過去の履歴も記録されてる。
○○さんの履歴はネットの中にたくさんあった。

ネット通販。
顔が見えない分文章に人柄が出るものなのだけれど、
とても腰の低すぎる文章を書く人がいた。

それがとても気になっていた。
こういう人は何かがきっかけで豹変しそう。。
やたら顔文字を使うその文章は
なんだか危うい感じがしてた。

何度かやりとりがあったものの、やはり他の人と違って
スムーズに事が運ばない。
その都度面倒な文章が返ってくる。

結果。

暴れだした。

評価は思い出したかのように不定期に「非常に悪い」を入れてくる。
今までの履歴を上書きするかのように。
自分に対して悪い評価を下した人にも繰り返し報復評価を
入れているようで、そのタイミングが一緒だったのを見ると
何かヒステリックになったときに
ひとまとめに書き込んでいたような印象があった。

ここ最近は落ち着いているみたいでホッとしている。

昨日、データの整理をしていた時にちょうどその人の
取引が出てきたので思い出した。

その人はいくつかのIDを使い分けていたのだけれど
初めの記号部分はどれも一緒だった。

ネットで検索してみると、相当トラブルを起こしている人だってわかった。
いくつかあるIDは停止中になってた。

こちらにぶつけてくる文章もだいたい同じだったので
完全に同一人物みたい。

この○○さん。
取引上の名前と振込名義が違っていたので
私は勝手に未成年なんだと思っていた。

でも、それは完全に違ってた。
悩みを抱えていて。
それは多種多様で。

自分だけがものすごく大変な環境に置かれているように
感じてしまうこともあって
「終わりにしたい。」って思うこともしばしばあって。

去年の年末は特にその気持ちが強かった。

でも。
現在私が抱えていない悩みですごく苦しんでいる人がいるかもしれない。

病気。
借金。
人間関係。
恋愛。
暴力。

もっといろいろあると思う。

みんながみんな口に出すわけではないので
一見幸せそうに見える人も、その人なりに
何か抱えているかもしれない。

「自分だけが苦しい」は
無いのかもしれない。って思っています。

みんな、闘ってる。
ただ、気づくのが遅かった感はあるの。。


今日久しぶりに高校時代の友達の夢を見た。
夢の中でもそれほど仲良くは無く
それぞれの人が私に対し素っ気なかった。

実際もそれほど仲良くなかった。
あの頃は友達関係が一番の悩みの種であり世界だった。

だから、友人関係が上手く行かなくなることは
この世の終わりのような気がしてたよね。。
もうどうにもならないし、学校に行きたくない。
それしかなかった。

いじめに遭った。
けれど、このいじめは私が一方的に被害者だったわけじゃない。
「口は災いのもと」を地で行ってただけなんだ。。

自分が蒔いた種に苦しんだ学生時代だった。

初めのいじめは小学校6年生。
その後中学時代も人と上手くやっていくことが出来ず
いじめに遭ってた。
どの学年でも、クラス替えで人が変わっても。
心機一転で今度は上手くやろうと思うのだけれど
結局一緒だった。 嫌われた。

給食のパンやおかずを投げつけられたこともあった。
教室の扉を思いっきり蹴られて威嚇されたこともあった。

給食のシルバー色のトレー。
いつ書かれたものか不明。
「○○死ね」
偶然使ったトレーに私の名前が刻まれてた。

グループを転々とした過去。
自分に合う人を探した。

あの頃の私に言いたい事がある。

「その世界はとても小さくて、そこがすべてじゃない。
今、生きやすい環境にいるからね。
今、人間関係に悩まされたりなんて一つもないからね。」