南三陸

ガキの頃の記憶

親戚のおばちゃんの実家が
登米町にあって
悌さん(セバス母の兄)
おばちゃん(悌さんの嫁)
セバス
セバス妹

連れてってもらったんだ

どのぐらい居たかはわすれちゃった

一週間ぐらいいた気がするけど
もっと短かったかもな

先ずびっくりしたこと

最寄り駅までおばちゃんの弟が
迎えに来るって事だったのね
駅着くじゃん
ロータリー行くじゃん
いる訳よ
めっちゃ紫色のヤンキー(爆)
車もシャコタン
あ〜前のめりな感じ(爆)

まぁたこんなんにしてー!

っ的な姉弟げんかを聞きながら
前のめり系の族車にて
家まで送ってもらいました(笑)

眉なしパンチパーマ開襟シャツの
暴走族兄ちゃんは
こないだ
悌さんの法事の時に会ったら
落ち着いたお父さんになってました(爆)

あの時は……と
初対面の印象を彼の息子(25歳ぐらい)
の前で話したら

恥ずかしそうにシ━━━ッd(ºεº;)
って(笑)

おばちゃん家では
ちゃんと宿題やらされた(笑)
朝起きて
歯磨いて
ご飯食べて
宿題(笑)
まぁ当たり前の小学生生活だよなw

でもそれからは全く違った

大自然!!

まぁセバスの居た新座も
当時は雑木林だらけだったけど

あの時見た
蛇の抜け殻や

用水路で
バカバカ釣れた
雑魚釣り(ウグイ、オイカワ)
夕方妹が釣り上げた
30cmほどのウグイが
羨ましくて
おじさんにまだ帰らない!!
って駄々こねたっけ( ̄▽ ̄;)

バスに乗って行った

南三陸

海水浴って感じよりも
磯遊び&釣り

海が凄く綺麗だった

防波堤にくっ付いてた
黒い物体

何だろう?
って網ですくったら

トゲトゲしいアイツ!!

パカっと割って食った!
激ウマ!!www

今思えば密漁( ̄▽ ̄;)

┏○)) さーーせん!
&┏○)) アザ━━━━━━━━ス!



今回
そんな南三陸へは
仙台のカプセルホテルから
国分町で牛タン食ってから向かった
(前記事参照)

片道100㌔ほど
時間にして一時間ちょいだった

海に近づくにつれて
震災の爪痕が
海抜20~30mもある所まで
津波が襲ったという看板

当時の曖昧な記憶
綺麗な海

それは

無かった

穏やかな海
復興の為に
頑張る人達
土煙を上げる感じ
大型トラックや重機
その中に
汗まみれで働く人々を
ヘルメット越しに見たセバスは

涙出てきた

写真撮るのも

おこがましいぐらい

彼らは輝いて見えた

荒れた大地をピエールと共に
走りながら考える

俺はもっと早く来るべきだった

来たから何か出来るのか

野次馬根性と思われやしないか

そんな不安は無くなった

行って見て感じればいい

頑張ってる人に
頑張ってって言うのは嫌い

だから

俺が頑張る(^_-)-☆

日本中あちらこちらに
震災により
不自由な生活を余儀なくされた
人達がいる

そこにはたくさん頑張ってる人達が居る

あなた達を心から尊敬します

今回の一人旅(セバス初)
色々な出会い

一人旅だから出来た自由な旅

与えられた時間を
有効に使わねばと
考えさせてくれた旅になりました

さて今度はどんな旅をしようか?

人生の旅は
もう折り返したかもだけど( ̄▽ ̄;)

諦めねぇゾ!

また頼むぜ相棒ピエール♪

ンじゃね〜(。・Д・。)ノ♪♪☆