『君の名前で僕を読んで』 アンドレ・アシマン 著 / 高岡香 訳 | 今日もこむらがえり - 本と映画とお楽しみの記録 -

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備忘録としての読書日記。主に小説がメインです。その他、見た映画や美術展に関するメモなど。

最初に記事と無関係なネタで失礼します。

一応なんとなく「映画レビュー」の公式ジャンルに登録してあるので毎朝前日のアクセス数とランキングのお知らせが入るのですが。あまり気にしてはいないので一回観てふーんと思ってすぐ忘れるのですが。ある朝忘れられない数字がそこに(笑)。

 

 
なんと。アクセス数とランキングが仲良くゾロ目で「777」と「33」!(笑)だから何って、それだけなんですけれども^^;、なんとなく珍しくて思わず記念のスクショ保存してしまいました(≧▽≦)。そんでちょっと誰かに言いたかった。それだけです(笑)。
 

 

 

映画「君の名前で僕を呼んで」を2回観てすっかりハマったわたくし。Blue-ray発売を待つ間に、原作小説も気になって購入。大量の積読本を飛び越して早速読んじゃいました(´艸`*)。

 

映画のパンフレットにあった、脚本を担当した偉大なるジェームズ・アイヴォリー氏のインタビューにあった通り、エリオの回想という形になっています。そして、確かに基本的には原作に忠実ですが、アイヴォリー先生のおっしゃる通り、細かい設定や登場人物など映画用に思い切った設定変更や省略も。映像作品に移植するにあたり、そして2時間前後にまとめるために必要な作業ですが、その映画脚本の仕立ての見事さ、ルカ・グァダニーノ監督の素晴らしい映像表現に改めて感動を覚えました。

 

映画の方は、映像と音楽の魔法で、同性愛ということを意識させず性別も時空も国境も超越したノスタルジーとセンチメンタル漂う美しい恋物語に仕上がっていましたが、小説の方は割としっかりBL小説でした。が、エログロさはなく。やはり美しい、ある意味では映画以上に甘くロマンチックな恋愛小説でした。当然ですが文字であらわされている分、映画よりも細部にわたっての情報量が多く、エリオの心情の動きの説明もあるので、映画のあのシーンのあの表情も、こういう心象心理がベースにあったのかもしれない、と改めて映画を振り返って味わい直すという楽しみも。

 

映画では省略されていた登場人物やエピソードも。また、省略された登場人物の役割を映画では他の人が兼任していたり。そんな”発見”もまた楽しい、小説と映画の理想的な関係性が結ばれています。エリオのお母さんは、映画の方が数段魅力的でした。小説の方は割と普通・・・オリヴァーが前もって予告なしに夕食をスキップするのに不満を口にしたり。でも、やはりオリヴァーの帰国前のローマ滞在に同行させてもらうようエリオに勧めるのも母親だし、何も気づかないフリして全て見通していながら優しく見守っていたのかもしれません。あるいは、そう感じたからアイヴォリー先生は映画では分りやすく母親の役割を膨らませたのかもしれません。

 

小説の中ではエリオの目で見る両親は「性的に枯れた」段階で、父親・母親という役割意外のセクシャリティを感じない存在として描かれていますが、映画の中のご夫婦はどちらもまだまだ魅力たっぷりなのもなんだかちょっと嬉しいような(笑)。その辺の描き方も、アイヴォリー先生の心配り、そしてグァダニーノ監督の采配によるものかも、なんて考えてみたり^^。

 

では、小説の中で特に印象に残った文章を少しご紹介します。まずはエリオがオリヴァーとのことについて回想を始めるシーンでの独白部分。オリヴァーとの最初の出会いの頃の緊迫感と不安とドキドキを思い出す部分ですが、あぁ、その感じわかる・・・!と共感する人も多いのではないかと。

 
Q:
苦悩、胸騒ぎ、新しく人と知り合うぞくぞく感、すぐそこに幸せが待っているという期待感、相手の気持ちを誤解して嫌われたくないためあらる行動の裏を読もうとあたふたすること、求める人や求めてほしい人を相手にうまく立ち回ろうとする必死さ、自分と周囲のあいだに立てる一枚でなく何枚もの薄い衝立、もともとは単純だったものをあえて複雑でわかりにくくしたいという衝動ーそういうものはすべて、あの夏、オリヴァーがうちに来た時に始まった。
:UQ
 
どうですか、浪漫とセンチメンタルが沢山つまった小説な感じがここだけでも十分わかりますよね?(´ー`)
 
家政婦のマファルダは、小説の方が台詞も登場回数も多くて魅力的に描かれています。映画ではエリオのお母さんが果樹園を丹精していましたが、小説では果樹園の女王はマファルダです。アプリコットの収穫をオリヴァーがお手伝いするシーン。マファルダはアプリコットが熟しているかどうかの判断基準は「恥ずかしそうに顔を赤らめている」かどうかだと説明します。そして、オリヴァーがこのアプリコットは恥ずかしそうに顔を赤らめているかと聞いた時の返しがなんだか気に入りました。
 
Q:
それはまだ若すぎます。若い者は恥を知りません。恥は年齢を重ねて知るようになるんですよ。
:UQ
 
マファルダと、グラッパを飲みながら、さやえんどうの筋を取りながら、よもやま話をしてみたくなります(´艸`*)。
オリヴァーが去った後のエリオのつぶやきも感傷的で胸キュンです。
 
Q:
彼は来た。彼は去った。何も変わらなかった。僕も変わらなかった。世界も変わらなかった。それでいて何ひとつ同じではない。残っているのは夢と、覚えのない記憶だけ。
:UQ
 
映画で素晴らしい余韻を残した、クリスマスにオリヴァーからのニュースが電話でもたらされる場面は、小説ではオリヴァー本人が再びイタリアを訪問していました。そして、それから15年後と20年後に、2人が再会するシーンもあります。15年後はアメリカで、20年後はイタリアで。特に、20年後の再会のシーンは素晴らしかったです。自分も一緒に、37歳のエリオと44歳のオリヴァーと会って昔を懐かしむような気持に浸りました。
 
小説と映画。どちらが先の方がいいのか。人それぞれとはいえ、アイヴォリー先生も「小説を読んでから映画を観るか、映画を観てから小説を読むか、どちらがいいのか私にもわからない」とおっしゃる通り、私にもわかりません・・・うーん、どっちだろう。どっちでそれぞれ違った二段階式の感動を味わえるしなぁ・・・とモヤモヤ考えている時にハタと気が付きました。私のベストアンサーは、”映画→小説→映画”です。その証拠に、もう一回映画観たくなっています・・・海外版のBlue-ray買っちゃいそうな勢い(笑)。
 
というわけで、噂どおり小説も素敵でした。が、それ以上に、改めてジェームズ・アイヴォリーのまごうことなき才能に、そしてアイヴォリー先生の脚本をあんなにも見事に映像化してみせたルカ・グァダニーノ監督の才能に、改めて驚愕。映画は、小説を決して裏切らず、乖離せず、それでいて小説を凌駕し完全なるアイヴォリー&グァダニーノ世界を創り上げていました。あんな映画作られちゃったら、小説の分が悪くなっちゃうんじゃ・・・と余計な心配(笑)。小説も良かったけれど、断然映画にゾッコン。あるいは、日本語翻訳も良かったのですが、文句はないのですが、翻訳がどうのではなくて。この小説は原文で読んだ方が美しいのではないかと思われます。英語版を読まなかったことを、少々後悔しました。いつか、機会があれば。