ザ・ウォーカー | 今日もこむらがえり - 本と映画とお楽しみの記録 -

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備忘録としての読書日記。主に小説がメインです。その他、見た映画や美術展に関するメモなど。

2010年 アメリカ
監督: アレン・ヒューズ / アルバート・ヒューズ
原題: The Book Of Eli
 
 
WOWOWにて録画鑑賞。これ、劇場公開当時CM観て気になったんですよね。荒廃した世界でたった1冊残った本を持って西へ向かう謎の男、って設定が本好きとしてくすぐられます。なぜ本?何の本?どうして?WOWOWでの放送予定を見つけて思い出し、ウキウキと録画♪
 
 
冒頭はダークな画面、深い森の中。主人公イーライ(デンゼル・ワシントン)が姿を現します。狩りをし、独りで荒涼とした大地を歩みます。人気の感じられない世界。1軒の廃屋を見つけて中にはいると、かつての住人か男性の絞首死体を見つけたイーライは、彼が履いていたブーツを拝借。履いてみたらサイズがピッタリだったのでしょうか、ちょっとご機嫌になって「Good Good Good.(いいぞ、いいぞ、いいぞ)」と小さく独り言。屋内で今日仕留めた獲物を夕食にし、ひといきつくとiPodのような音楽プレイヤーを取り出して、耳にあてると流れ出す曲。(聞き覚えがあるけれど曲名がわからなかったので後から調べたところアル・グリーンの「How can you mend a broken heart」という曲?)
 
冒頭からここにたどり着くまでずっと、台詞がなく(1人しか画面に存在しないので会話する相手がいないのですが)、はっきりしたメロディや歌詞のあるBGMもなかったことに思い至ります。ずっと静謐な緊張感が漂っていたのが、ブーツを履きながらの「いいぞ」のつぶやきでフっと解け、そして音楽が広がる・・・わぁっとなりました。なんて心憎い演出でしょうか。いよいよ物語が始まる予感。再び廃屋を出て歩き出すイーライ。生き残った人間はいないのかと思いかけたら、いました、いました。まるで「北斗の拳」の世界。あれって、世紀末に核戦争が起きて世界が荒廃したんでしたっけ。この映画の世界も、そんな感じなのかなぁと想像を巡らせながら。
 
 
ならず者たちに取り囲まれるイーライ。できるだけ事をおこさずにやり過ごそうとするのですが、ならず者の方がそうはさせじ。すると、いざやる気を出したイーライの神がかり的に強いこと。そして何かの使命を帯びた感じで「西へ」と進み続けるイーライは、やがてカーネギー(ゲイリー・オールドマン)という男が統率している比較的栄えた街へたどり着きます。このカーネギーという男も、手下たちを使って必死に何か特別な「本」を探している様子。
 
徐々に物語の方向性や、イーライが持っている「本」について解かってくるのですが、そういう話だったのか!と。近未来バイオレンス・アクションな映画化と思っていたらまったく想定外でした。ネタバレになるかもしれませんが、我々日本人はある程度の情報を先に持っておいた方がこの映画をちゃんと観ることができるので基本的な設定を説明します。映画としてもこの部分は謎解きではないので知ったが為に楽しみが減るというものではありません。欧米人なら観て普通に理解する要素ですのでご安心を。
 
イーライが持ち歩いている「本」とは、有史以来人類に最も多く読まれ続けている本、つまり「聖書」です。(具体的には最もポピュラーな『Holly Bible King James Version(ジェームズ王欽定訳聖書)』)これは、聖書に書かれている通りに世界が終末をむかえた、その後の物語の映画なんです。ドンパチ、ボッコボコでアドレナリン放出のアクション映画だと思った人はビックリ仰天Σ(゚Д゚)。ざっくり言うと、聖書では世界が滅びた後再びイエス・キリストが復活し生き延びた人々を新しい世界へ導くと言われています(正確な表現や様々な解釈は取りあえず放置)。要するに何かがおこって文明社会とほとんどの人類が滅亡した世界で、たった1冊残った聖書を新しい文明の発祥の地まで運ぶ使命を帯びた男がイーライ。いわば新しい最初の伝道者。
 
ちなみに「イーライ」という言葉には「我が神」という意味もあるらしく、原題の「The Book Of Eli」は直訳で「イーライ(が運んでいる)の本」と、「神様の本=聖書」という暗喩にもなっているんでしょうね。イーライは相応しい場所、新しい文明の発祥地と神に定められた場所までたどり着きますがそこがアルカトラズというのが皮肉なような適所のような。アルカトラズはまるで文明の「ノアの箱舟」。アルカトラズでイーライをむかえた指導者に無事に神の言葉=聖書を伝え、『アルカトラズ版』聖書が新たに編纂されます。このアルカトラズ版が、次なる伝道者達へと引き継がれ、再び神の教えが世界に広がっていくのでしょう。
 
 
どうやって世界が終末をむかえたのか、なぜ聖書が1冊を残して全て失われたのか、イーライはどうやって聖書を手に入れ自分の使命を知ったのか、などについては実際にカーネギーの支配する街からアルカトラズへたどり着くまでのドラマと共に本編でお楽しみください^^。世界滅亡の後で生まれた若い世代は、文明を知らず、よって文字も読めません。旧世界のインテリの生き残りであるカーネギーは、文明を失った世界で他人を統率し富と利益を牛耳るには、聖書の言葉が大きい力を発揮すると知っているので、どうしても聖書を見つけ出したくて躍起になっています。
 
 
カーネギーの美しい盲目の愛人クローディア(ジェニファー・ビールス)は自分というより娘の安全のためにカーネギーに囲われています。娘ソラーラ(ミラ・クニス)もまた、母の為にカーネギーに従っています。街へ現れたイーライが聖書を持っているとしったカーネギーは、イーライを歓待すると見せかけてどうにか奪おうと画策します。ソラーラもカーネギーの命令でイーライの部屋を訪れますが、イーライから初めて「祈り」を教わり、不思議な心の高揚を覚えるのでした。
 
 
カーネギーの襲撃をなんとかかわし、再び西へ向かうイーライをソラーラが追いかけて無理やり合流。その道中、イーライはソラーラに少しづつ、世界がこうなるまでの顛末や聖書の言葉をソラーラに話して聞かせます。
 
 
しかしヤケのヤンパチの必死のカーネギーの追跡も本気&シツコイ。人里離れた民家で近寄る強盗らに向けて罠を張って生き延びてきた老夫婦も巻き込んでの総攻撃。イーライ、神がかり的に強いし、攻撃を受けてもちっともダメージ受けないので、本当に神の力に守られているのかとカーネギーも私も思い始めていたのですが、やはり生身の人間でした。あれ?重症おっちゃった^^;。それとも、ソラーラが合流したことで、イーライの使命は終わり次の後継者へ引き継がれる時が近づいたという現れ?
 
 
セピアの画面だと、ミラ・クニスの美女オーラが余計に引き立ちます。べっぴんさんやわぁ~。「ブラック・スワン」で官能的なリリーを演じた女優さんですね。人間が教養とか知性とか理性とかいう制限をなくした不穏な世界で、しかもどうみても女性が足りなさそうな状況で、こんな美人がここまで無事に生きてこられたというのは、やはりカーネギーの庇護があったからこそで、お母さんの献身の賜物なんだろうなぁ。
 
まさか聖書世界の映画だとは思っていなかったのでビックリしましたが、いい意味での予想外。キリスト教世界は特に思い入れがあるわけでも詳しいわけでもありませんが、コンセプトは興味深かったし、映像と音で構築された世界観が美しくてクール。わぁ・・・っと圧倒されるものがありました。思わず、保存用ハードにダビング。でも、これ、、、絶対ウケそうなのになぜこの映画が日本で劇場スルーになっちゃったんだろう?と思う映画が沢山ある中でなぜこの映画が日本で劇場公開になったんだろう?^^; デンゼル・ワシントンの知名度と人気と、細かい設定を理解せずともスタイリッシュな映像世界とアクションで乗り切れる!と思ったのかな。あくまでも新世界での伝導の話だから、いうほどアクションまみれでもないのだけれど・・・私はすごく気に入ったんですが、一般受けはどうだったんでしょうね?ナゾです。
 
雰囲気に圧倒されて面白い・・・!と感動の酔いが覚めてからよくよく考えてみると、それにしても30年ってかかり過ぎてないか?とか、30年もの間、どうやってあの装甲車やらのメンテや燃料供給しつづけたんだろうとか、最後にイーライが持っていた聖書とイーライの秘密がわかってビックリするんですが、でも色々流石にちょっと辻褄が合わないことが気になったり、でもそういえば、そういう肝心なことに関しては基本的には明確な説明は一切されず、ほのめかされるだけで視聴者の解釈に任せるような、穿ってみればどうにでも言い訳がつくちょっとズルい作りになってないかー?とか(苦笑)、ちょいちょい腑に落ちないこと、気になることはありますが、もうこの際細かいことは気にしません。全体を味わいましょう、それが正解^^。