ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣 | 今日もこむらがえり - 本と映画とお楽しみの記録 -

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備忘録としての読書日記。主に小説がメインです。その他、見た映画や美術展に関するメモなど。

2016年 イギリス、アメリカ
スティーヴン・カンター 監督
原題: Dancer


今年は、ドキュメンタリー映画が何かと楽しい(*'ω'*)。かの ルドルフ・ ヌレエフの再来と世界を騒がせ最年少の19歳で英国ロイヤル・バレエ団のプリンシパルに就任したウクライナ出身の天才バレエダンサー、セルゲイ・ポルーニンを長期に渡って追ったドキュメンタリー映画です。
天才が故の苦悩や波乱の半生、幼少時代や家族との関わりなど、謎多き異端児の素顔が垣間見える宝物のような映画であり、美しい映像に酔いしれる作品です。



ウクライナの貧しい町で生まれ育ったセルゲイは、小さな頃から体が柔らかく運動神経抜群で、その才能を活かそうと両親は体操を習わせます。9歳の時、体操のコーチにこのまま体操を続けるかそれともバレエに転向するかと聞かれて両親は迷わずバレエを選択。ウクライナで一番のキエフのバレエ学校へ通わせます。体操もバレエも、楽しくてしょうがないといった様子のセルゲイ少年が、当時両親が撮影したビデオの中に映っています。バレエの大会で入賞した際のテレビインタビューで、若干10歳前後の少年が目をキラキラさせながら「僕のダンスで皆を幸せにしたい」「眼でも楽しませたいから綺麗な身体を作りたい」と語る様子がとても印象的です。

家計的には、一流学校の授業料や遠距離通学の交通費でさえも苦しく、付き添いの母親はセルゲイの送迎で二往復する分の交通費が捻出できず、授業が終わるまでずっと外で待っていました。可愛い息子には才能を糧に成功して自分達のような貧しい生活から脱出して欲しいという親らしい願いのあまり、全身全霊を息子のために費やす人生。やがてキエフでは息子の才能に物足りない、海外留学させるべきだと判断し、英国ロイヤル・バレエ団のオーディションに挑戦し見事合格します。ところが、セルゲイ本人しかビザは発行されず、英語も出来ないまだ幼い息子を一人で外国へ送り出さなければいけなかった母親は心痛と半端ない喪失感に苦しみ、1年以上まともに生活できなくい状態が続いたといいます。



同世代の誰よりも明らかに飛びぬけた才能をみせたセルゲイはロイヤル・バレエ学校でも3学年飛び級し、最初から主役級の振付を教わり、あっという間に最年少プリンシパルへ。ちなみにセルゲイ名前の冠的に必ず比較されるヌレエスも、アダム・クーパーも、熊川哲也もセルゲイと同じロイヤル・バレエ団の出身でセルゲイの先輩です。熊川哲也の在団期間はセルゲイも重なっていて、熊川哲也のジャンプの高さはヌレエフ以上だと評するインタビュー記事がありました。

輝かしいデビューを果たした若き綺羅星だったセルゲイ、舞台も大喝采を浴びます。恵まれた資質と才能に加えて、毎日誰よりも遅くまで練習をして誰よりも必死で努力していました。それもこれも、セルゲイの留学費を捻出するために両親だけでなく祖父母までがバラバラになって海外に出稼ぎに出て働いて支えていて、そんな親族の期待と責任感、英国ロイヤル・バレエ団の伝統と最年少プリンシパルという立場にのしかかる重圧は常人の想像に及ばないところだったと思われます。そして、自分がバレエを一生懸命頑張ることで、いつかバラバラになった家族をまとめることができるに違いない、自分が踊ることで家族を、皆を幸せにしたいという思いで厳しい練習にも耐えてきたセルゲイでしたが、やはり長年の別居生活で亀裂が入った両親が離婚してしまい、セルゲイを支えていた世界が崩壊してしまいます。



伝統あるバレエ団のプリンシパルとはいえ、うら若き10代の青年。そこに精神的な支えの喪失が重なり、バッド・ボーイな素行が取りざたされるようになります。夜な夜なパーティ三昧で意識を失うまでアルコールに溺れ、ドラッグを使用し、身体には8つものタトゥーを刻み、リハーサルを何日も無断で欠席したり。それでも本番になれば天才ダンサーなんだから、その才能たるやいかほどか・・・。そんな問題児の日々が2年続き、ある日突然退団。世界中に激震が走ったニュースでした。「バレエ団は窮屈、やってられない」という言葉と共に突然退団した問題児な天才の身勝手なあきれた行動のように取りざたされることもあり、いったい彼に何があったのか、憶測と波紋を呼びました。



とはいえバレエを全くやめようとしたわけではなく、心機一転アメリカに渡ってやり直そうとしたらしいのですが、ロイヤル・バレエ団所属中の数々の異端伝説と退団でどこのバレエ団もしり込みしてしまい、その才能と実績にも関らず、どこにも受け入れ先が見つからなかったそうです。Σ(゚Д゚) するとセルゲイは単身ロシアに渡り、ロシアでバレエのオーディション番組(アメリカの「アメリカン・ダンス・アイドル」のバレエ版みたいな感じ)に出演し(「イギリスではスターだったらしいですよ」と司会者に紹介されていました。ロシアではまったく無名だったらしいです)、あっという間に優勝を重ねて、ロシアで伝説的な元ダンサーのイーゴリ・ゼレンスキーに見いだされ、以後、イーゴリが父親兼師匠としてセルゲイを指導、支援することとなり、 モスクワ音楽劇場のバレエ団のプリンシパルに就任しロシアでも名声を勝ち得ます。

ロイヤル・バレエ団時代の親友で今も各方面で活躍している2人のインタビューが劇中何度か挿入されますが、彼らの言葉にもあるように、バレエ・ダンサーの日常の地道な練習の積み重ねや規制の多い生活は大変厳しく、強い目標がないととても続かないものです。自分が踊ることで家族を幸せにしたかったのに、実際には自分がバレエを続ける為に家族がバラバラになってしまった、不幸にしてしまったという絶望感に苛まれ、バレエを踊る指針となる軸を失ったセルゲイは、ロシアという新天地で最初の2年は新しい生きがいを見つけた気がしましたがやがてまた飽和状態になってしまいます。

そんな中、ラストダンスのつもりで前述の親友の一人に振付を依頼し、ハワイのロケーションで著名な写真家であるデヴィッド・ラシャペル ホージアによって撮影されたホージアのヒット曲「Take Me To Church」のミュージック・ビデオを発表しました。セルゲイは当初、これを機に踊ることを辞めるつもりで、数か月の間全身全霊を込めて取り組み、撮影中の数日間は誰とも口をきかず、涙を流してばかりいたといいます。それほどまでに魂のこもったダンス、当然人々の心を動かします。You Tubeに投稿してからわずか一週間であっという間に2,000万回も再生されて話題となり、結果的にこの動画がセルゲイの再出発のきっかけとなりました。



自分のバレエで家族を幸せにしたかったのに、逆に家族をバラバラにして崩壊させてしまったショックと、そこから子供時代から自分に厳しくバレエを練習させた母親への逆恨みから、ロイヤル・バレエ団に所属した2年間、一度も家族を招待しなかったセルゲイ。愛する孫、愛する息子と会うことも叶わず、その苦悩も支えられず、自暴自棄な行いも輝かしい功績も全てテレビニュースを通して知ることしか叶わなかった家族も、皆が辛く苦しい年月を過ごしたことと思いますが、「Take Me To Church」後ようやく家族と再会、和解し自分の舞台に招待できるようになったセルゲイ。再び家族の絆が結ばれて、本当によかった。

劇中も、シーンによってセルゲイの顔は時にアンバランスで不安定だったり、野生的だったり、優しかったり、理知的だったりと様々に違った表情を沢山みせます。天才の多面的で繊細な内面がそのまま表れているようです。自分自身が再生するためには、一度全てを壊すことが必要だったんだ、と過去を振り返り語るセルゲイの表情がとても美しくて感動的。「率直にいって、踊ることが大好きなんだ」というセルゲイの言葉に、本当によかった、と他人ながら感無量でした。

最後に、映画の中でもラストのクライマックスに披露される、話題のミュージック・ビデオの動画と、映画予告編動画を貼りつけておきます。

 

 

この動画に限らず、セルゲイの踊っているシーンは、そのジャンプの高さとテクニックの高度さにいかにも体操出身のアクロバティックな印象になりかねないのに、その技巧にも関らず同時に紛れもなく優雅なバレエに他ならないことが不思議な奇跡。まさに「世界一優雅な野獣」のキャッチフレーズがピッタリ。そして、映画ではこの動画に続いて、テレビ画面のセルゲイに合わせて真似をしようと奮闘するちびっ子の動画も紹介されていて、劇場内がほっこりした笑いに湧きました。まったく、動物とちびっ子にはかないませんね(*‘ω‘ *)。

 

 

現在は、 ダンサーを支援する“プロジェクト・ポルーニン”の活動の傍ら、モデルや俳優としても活躍の場を広げているセルゲイ・ポルーニン。 個人的にも公開が楽しみなケネス・ブラナーの監督する「オリエント急行殺人事件」のリメイクや、 レイフ・ファインズ監督によるヌレエフの伝記映画などの映画作品に出演が決まっているとのことで、今後もますます目が離せない。映画公開も待ち遠しいです♪