鱈々(銀河劇場) | 今日もこむらがえり - 本と映画とお楽しみの記録 -

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備忘録としての読書日記。主に小説がメインです。その他、見た映画や美術展に関するメモなど。

 

藤原竜也さんx山本裕典さん共演の舞台『鱈々(だらだら)』を観て

きました。藤原竜也さん。若い頃から可愛い系イケメンでアイドル

タレント的な風貌を裏切る芸達者ぶりですごいなぁー、一度舞台で

ナマで観たいなとなんとなく思っていたので、今回友人が声を

かけてくれて、しかもちょっと割引価格でチケット購入できてラッキー。

 

共演の山本裕典さんは知らなかったのですが、別の知人が

ジュノン・ボーイ出身で、仮面ライダーもやって、、、と、いくつか

出演ドラマを挙げて説明してくれました^^;。映画もドラマも、見事に

ひとっつも観たことがないものばかりでしたが・・・どうりで知らな

かったはずだ・・・。(但し、今のところ私の友人知人の範囲内で

知らなかったのは私だけ・・・失礼しました)

 

ともかく、「藤原竜也の舞台!」とひたすらそれのみでしたので、

お芝居の内容その他の事前情報もほとんど触れないまま当日を

迎えた私。予想はしていましたが、先週の来日版『キンキーブーツ

のカラっと明るくハッピーノリとはうって変わってズッシリと重い

舞台でした^^;。明らかにギョーカイ側、という感じの男性二人が

ロビーで「役者の力量がとことん試される舞台だよねぇ」みたいな

会話をしていたのがたまたま耳に入ってきたのですが、実際いかに

も演劇人(演じる側も見る側も作る側も含めて)にとって醍醐味、

という感じの作品なんだろうなぁと思います。

 

元々は、90年代に韓国で上演された作品だそうです。お芝居の

重要な小道具かつ象徴的なKey Wordにもなっている干し鱈(の頭)

も、干し鱈を使ったスープも、韓国では超ポピュラーな食材(料理)。

そして舞台の設定は。住み込みの倉庫番として共に暮らし、毎日

運ばれてくる箱を荷卸しし、出荷分の箱をトラックに積み込む単調

な仕事を延々と繰り返してきた二人の男、ジャーン(藤原竜也)と

キーム(山本裕典)。伝票の指示通りに正確に慎重に真心を込めて

作業することに意義を求め、今の生活がずっと平穏に続くことを

願う几帳面なキームに対し、単調な仕事にも暗くて狭い倉庫の世界

での暮らしにも飽き飽きして、そこから抜け出したいと願い、仕事も

いい加減で酒やナンパでウサを晴らすキーム。

 

性格は正反対の二人ですが、互いに信頼しあっており、何くれと

小言をいったり世話を焼いたりするジャーンのことを、時折鬱陶しい

まるで継母のようだと感じながらも頼りにしているキーム。二人の

世界はそれなりに平和でうまくいっていましたが、ある日、キーム

が最近ちょっかいを出している、男性関係に奔放な若い女性、

通称ミス・ダーリン(中村ゆり)とその父親の荒くれ者なトラック

運転手(木場勝己)が二人の生活に割り込んできて、倉庫の世界

の均衡が崩れ始めます。

 

小さな倉庫の世界。その倉庫が、いくつもいくつも存在する世界。

二人が暮らす倉庫の外に出たとしても、そこは結局、別の少し

大きな倉庫の中でしかない。この世の中そのものが、大きな一つの

倉庫の中なのだから、いくらこの倉庫の外に出てどこに行こうと、

所詮は別の倉庫でしかない。ならばここにとどまっても同じこと

だろうと、キームを説き伏せようとするジャーン。そう、小さな倉庫

と倉庫番、画一化され番号で管理される中身の分からない沢山

の箱は、世界=現代社会そのものの縮図。なんだろうな、と思います。

 

規格化され、個性は殺され、機械的で無機質な数字で管理され、

ただ同じような倉庫がいくつも集まった世界。ある場所からある場所

へ箱を運搬する者、運搬された箱を一時保管しまた別の場所へ

運ぶトラックへと渡す者。一連の作業は細かく分業化されていて、

誰も全体像が分からないし、自分の作業の意味も知らずただ単に

作業をこなすだけ。伝票の指示は細かいのに、その通りに仕事を

したことを誰かが認めてくれるわけでもなく、間違いが発生した場合

に何が起こるかもわからない。実際に誤った箱が出荷されて

しまったのに、箱の所有主はどこかにいるはずで、誰かが伝票と

現物の違いにどこかで気が付くはずなのに、何日経っても何も変化

が訪れない現実。

 

責任感を自負しキームの分も真面目に正確に仕事をこなし、なにや

かやとキームの世話をしてきたジャーン。キームの方がジャーンに

依存してだらけた生活をしているようですが、実は、ジャーン自信が、

秩序を守ることやキームという存在に強く依存して生きてきたんだと

思います。そのよすがが、ちょっとづつちょっとづつ崩壊していくことで

ジャーンは深い絶望と混乱に陥ってしまいます。それでも”明日は明日

の風が吹く”。『風と共に去りぬ』の有名なこの台詞は、絶望から立ち上

がる強い意志と生命力と希望を湛えたものですが、ジャーンが同じ

台詞を言ったとしたら、全く違った意味を帯びることでしょう。(実際に

そんな台詞はありません)

 

全て失い、絶望するジャーン。でも、人生は無情に続きます。続く限り、

彼は、例え以前のように盲目的に信望することができなくなってしま

ったとしても、彼の生き方しかできない。箱を運び、並べ、出荷する。

伝票にある指示の通りに、正確に。「間違ってはいけない」。

・・・はぁ~、重い^^;。こういうものも、たまには良いですけれど、まぁ

たまに、でいいかな。だって我々はリアルに逃げ出すことのできない

重い現実世界を毎日生きているんだから、エンタメはたまさか現実

逃避して楽しくハッピーになれるものの方が、基本的にはやっぱり

好きです。そもそも、元々日本人は湿気の多い気質。どんよりとか、

湿っぽくとか欝々とした思索という素養が欧米人に比べやっぱり強い

と思うので、わざわざ助長することもない、それよりもむしろ生来持ち

合わせてないカラっと明るい要素こそ外部摂取で取り込みたいと思う私。

 

しかし何より、念願の”ナマ藤原竜也”。満足いたしました♪

山本裕典さんもさすが元仮面ライダーですごいプロポーション。

細マッチョ?中マッチョ?まぁとにかく、普通に生活していたら出来ない

形の筋肉造詣。しかも基本タンクトップ。マッスル好きにはきっと

たまらないんでしょうなぁ。私には無興味どちらかというとtoo muchで

したけれど。中村ゆりさんは、まぁたいそう美人さんで。こんなレベル

の美女がウヨウヨいる東京、もしくは芸能界。どういうこっちゃ(>_<)。

木場さんも存在感抜群でしたけれども、年代の差ってすごいんだな・・・

と感心するほど、手足のリーチの長さが若手二人と歴然と・・・(◎_◎;)。

 

せっかくの重厚なテーマの作品の感想の〆がこんなアホな戯言で

どうもスミマセンの巻でした^^;。いやでも、よかったです。ホントに^^。

 

最後の蛇足。そういえば、観終わってから復讐がてら『鱈々』情報を

ネット検索した私ですが、作品紹介のネット記事などでチラホラと、

「藤原竜也が山本裕典に淡い恋心を抱く役を熱演」とか、「藤原竜也、

初めて同性愛者役に挑戦」と言い切った紹介文まであって「・・・えっ?」。

確かにジャーンはキームと「特別な存在」「かけがえのない存在」

「お前を、愛しているよ」とは言っていますが、上述したように世界秩序

を維持し均衡を保つためにジャーンはキームという存在に大きく依存

していて、そりゃあ偏愛してもいますが、舞台を見る限りそれが

即ち同性愛者とか、恋愛感情という風には、私は受け取りませんでした。

 

そんな表層的でわかりやすく単純な感情ではないんじゃないかな、と

思います。最も、「俺は男が好きなんだ、お前を恋愛対象として見て

いる!」というような台詞がない限り、解釈は個々人の自由。”ジャーン

はキームにかなわぬ恋心を抱いている”という視点で見ると、また

新しい見え方もありそうです。もしこれから舞台を見る人がいらしたら、

試しにそういう視点に切り替えてみてみるのも面白いかもしれません。