おこたが欲しい。
ご無沙汰しちょります。
あじこです。
ここらではめずらしく今日は雪が!降ってます!!
雪はいいよね・・・悲恋が似合うよね。
あったかい恋も似合うけどね。
マフラーを2人でまいて指を繋いだりとかね。すればいいよね!(だれが)
ついでにくちびるでも合わせとけばいい!!(だからだれが)
さて、冬談議(?)はここまでにして。
昨日は毎度おなじみ土曜のカウンセリングでありやした!
いろんなことをいろんなふうにいつものとおり話してきたんですけれども、
今回はおもに以下のとおり。興味ない人は閉じちゃって!長いよ!
・このあいだの病院の日の話
「あじこさんは感情の起伏が希薄。自分で(こんなことは思うのもダメだ!)と押さえてる部分を感じる。もっと怒りなさい。じゃないと余計に自分の中に歪みが生じて人格も増える一方だよ」というようなことを担当医に言われたので怒る努力をしている。自分はたしかにあまり怒らないけれど怒る代わりに傷ついているような気がするのでそれを表に出すことが怒ることかなと思うんだけれど「言ってもしょうがないこと」とすぐに諦めてしまってうまく怒れない。怒り方を忘れているように思う。
・小学生男子と中学生女子の人格について
新たな人格があらわれてたまに暴れる。小学2年生だという少年人格が「小学生のころ僕の首を絞めたあいつを殺してやりたい。小学校へ行く」と言って夜中に泣きながら家を飛び出したりする。また、その男の子と中学生だという女の子両方が「そいつを殺したからと言ってどうなるわけでもないのはわかっているが悔しい。なぜわたし・僕が疎外されなきゃならなかったのかがわからない。そいつが、ではなくむしろ自分が意味もなく弾かれなければならなかった体制がなぜそんなふうだったのかわからなくて悔しい。もしもわるいところがあるなら今からでも直すのにいくら考えてもどこなのかわからない。どうしたらよかったの?どうしたらいいの?やりきれない、しにたい」と言って泣く。その間の記憶はわたしにはほぼなく、すべて聞いた話で、覚えている部分は少ない。
・脳内に浮かぶ人を殺すイメージについて
最近頭の中に人を殺し殺される映像が浮かぶ。それがすごくリアルで実感があるため実際の現実に対応できなくなる。このイメージの中で殺されるのはわたしで殺すのもわたし。殺し方は首を絞めて殺すというもので、わたしの視点は大体において殺す側。どちらもあじこなんだけれど、なぜか殺している方は男、殺されているのは女だと感じる。そのあいだは一人称が「僕」で、体が女の形をしていることはしっているけれど自分は男であるという確信を抱いている。しかし男が怖いという感情から男性という生き物がどうしても愛せないので男であることが嫌で嫌で発狂しそうになる。ここらへんから実際に泣いたり叫んだりしだすよう。そのうち自分が「僕」なのか「あたし」なのかわからなくなって最終的に「あたし」として自分が女だと確認してホッとすると同時に絶望する。
こんな感じの近況を担当カウンセラーFさんに伝えたところ、
「どれもとても今の状況に関連している大事なことだと思う」と言われました。
「これは話を聞いていて感じたこと」だそうですが、わたしの見る「人を殺すイメージ」は「論理的思考=男性的な面」が「感情=女性的な面」を殺そう、押さえ込もうとしている図のように思えるらしく、その自分の中の内面図がイメージとして見えるようになってきたということは今までしてきた治療の成果が出ているということでもあるのでどちらかというとよろこばしいことのようです。「くるしいだろうけどね」とFさんは仰いました。
性差には生物学的な男女と、文化的に作られる「男らしさ」「女らしさ」のようなジェンダーとしての男女と、男性女性どちらもが持つ「男性性」「女性性」というのがあるらしいです。男性性は明確に意見を伝えたり、論理的に考えたりする部分で、女性性は寛容で感情的、受容的な部分なのだそうで、わたしは男性性を通して女性性を殺して生きようとしていたということのようです。
すげえええええええええええわかりやすい!!!!!!なんだそれ!!!!
それらしすぎて逆にどーよって感じだわ。
いいよいいんだよべつにそれならそれでスッキリするしすることは結局変わらないんだからね。
ただわたしは男であること、女であることを異様に気にしてしまう自分をどうにかしたいんだよ。
やりづらいんだよ。
男でも女でもどーでもいーじゃん、って思えたらいいのにね。ラクなのにね。
でもどーでもいーけどやっぱ違う生き物なので違いはあちこちにいろんな形で出てきてわたしはそのたびにおろおろしちゃうわけです。心の底に潜んでる、勝手に男性に怯えるこのきもち、どうにかしたいよ。
男性のみなさま、ごめんなさいそれぞれの人が嫌いなわけじゃないのでどうかお気になさらずに!!!ごめんね!