昭和53年(1978年)夏 右の舌の根と奥歯の間に粟粒の「口内炎」
昭和54年(1979年)1月から かかりつけ医に相談 一度抜歯したら痛みが改善したため、様子見
10月 小豆粒大に 痛みが再発、愛知県がんセンターに紹介状書いてもらうが多忙で行く時間取れず
昭和55年(1980年)1月 愛知県がんセンター 視診のみで口内炎との診断 ケナログ処方
3月 小豆粒が花開いたかたちになっていたので、切望して切除 「念の為、組織検査へ」
4月 告知なしで放射線科に案内される コバルト60の照射開始
6月 小線源ラジウム
6月末 退院
昭和56年(1981年)3月 最終原稿渡し
昭和57年(1982年)7月 死去 享年59歳
40年前か・・・
カッチンコッチンの世の中だったよなあ
医療も、医者も、家庭内役割も、
医療も「根性」メインのようだし
現在の医療はこういった方々の苦しみをベースに改善されてきたんだな
ただひたすら「耐えろ」、から、なんとか保護できないか、事前に対処できないか、と工夫してくれる医師がいて少しずつ進化していったんだろう
なぜ死を選んだのか
口内、喉首の苦痛が一向に軽減されなかったのか
新たななにかがあったのか
病気以外のことか
何もわからないが、同病の大先輩としてご冥福を祈ります









