今日は終戦記念日、それに月遅れのお盆ということで、皆さん静かに過ごしている方も多いですが、帰省のUターンラッシュでもあるので、お出かけの方は大変だと思います。

 

さて、前回の記事で列車の座席の話をしましたが、今では当たり前になっているリクライニングシート、これが日本に初めて登場したのは1950年、昭和25年だそうです。

 

それまで特急列車と言えど、3等車も2等車も4人掛けのボックスシートが基準でした。

 

確かに2等車の椅子は例のシートピッチも1920㎜くらいで広く、クッションがフカフカの座席だったそうですが、戦後の占領下時代に、その占領軍から日本の特急列車の2等車はレベルが低すぎるから、リクライニングシート備えたハイレベルの車両を作れと言われて、仕方なく作ったのがこれだったのです。

 

当時の国鉄は列車の等級が3等級制で、1等、2等、3等の区別がありました。ちょうど、航空機のファーストクラス、ビジネスクラス、エコノミークラスがあるのと同じです。それで、3等車の運賃、料金を基準に考えると、2等車の運賃は2倍、1等車は3倍だったようで、急行料金や特急料金も同様に2倍~4倍の金額だったようです。

 

今は乗車券、特急券、グリーン車利用ならグリーン券という分かりやすい制度ですが、考えてみれば距離に対する対価である普通運賃が等級によって変わるのはおかしな制度だ思いました。

 

普通運賃:距離に対する対価

特急料金:速さに対する対価

グリーン料金:設備に対する対価

 

これが本来の姿だと思います。

 

まあ昔と今では人々の考え方も違ったのでしょうからそれは良いとして、なぜ「特別2等車」という車種が生まれたかという事なんですが・・・

もう一度こないだの模型に登場してもらいましょう。

先にも書いた通り、この下の客車が日本で最初の特別2等車である「スロ60型」ですが、窓1つに対して1個の二人掛けリクライニングシートが左右両側に配置されています。

左のドアの次の真四角の窓2つと右端の真四角の窓の部分はトイレと列車ボーイ室なので客席ではなく、広窓の11個に客席があるので、この客車は定員が44人なのです。

 

当時国鉄の他の客車、普通2等車のスロ34型で60人、3等車なら80人以上の定員でしたから44人のスロ60型はとてもゆったりした客車と言えます。

このため当時の国鉄の考えはこの客車を2等車ではなく、運賃が3等の3倍は必要、つまり1等車として考えたのです。

 

ところが連合軍の意見は、世界中どこ探したって40人以上乗せる1等車など存在しないからこれは2等車だ・・・。と言われ仕方なく2等車にしたという経緯があります(確かに当時の1等車(展望車)は定員24人だったようです)。

 

そこで苦肉の策として「特別2等」というランクを作って対処したのです。ですからこの客車に乗るには、2等の普通乗車券の他に特別2等車券という、追加料金の切符が必要でした。

 

それで、スロ60型が予想外に好評だったため、特急以外の急行列車にも特別2等車を連結することになり、以後様々な車両が作られました。

・スロ60型:最初の特別2等車。ピッチ1250㎜、定員44人、特急用

・スロ50型:急行用。ピッチ1100㎜、定員48人

・スロ51型:急行用。ピッチ1100㎜、定員52人

・スロ52型:スロ51型と同じ。耐寒装備の北海道向け

・スロ53型:特急用。ピッチ1160㎜、定員48人

・スロ54型:特急用。ピッチ1160㎜、定員48人、蛍光灯採用

・ナロ10型:新型軽量客車。ピッチ1160㎜、定員48人、特急用

・ナロ20型:ブルートレイン用。ピッチ1170㎜、定員48人

特別2等車という制度は昭和33年に廃止になったので、ここまでが特別2等車として作られた客車です。

 

こだま型の電車などはこの後に登場しているので、法規上は特別2等車ではなかったそうです。