多くの留学生がはじめはホームステイを選択すると思う。慣れない国で、言語で、アパートを探すのは至難の業であるし、その土地の人の雰囲気を知るにはホームステイはうってつけではあるのだ。留学エージェントはホームステイ先を探してくれるし、なにか問題があれば違う家に行くこともできる。が、友達たちの経験を見るかぎり、完璧なホームステイ先が見つかるというのはほとんど奇跡に近いと思ったほうが良さそうであった。もちろんなかには楽しそうにやっている子もいたが、断言しよう。ホームステイは太る。知りあった日本人の留学生全員が口をそろえて言っていた。
わたしはというと、留学エージェントに申し込んだその日から担当の人に、「ホームステイではなく、一人暮らし希望です。」と明言していた。珍しいケースだったとは思うが、まったくないわけではないらしく、語学学校が提携しているアパートに申し込んでもらえた。いま考えると非常に割高な部屋ではあったのだが、東京で一人暮らしするのにくらべたら安いくらいだったので、ほいほーいと両親も快諾してくれたのだ。
なぜ一人暮らしにこだわったかといえば、そう、音楽をするからである。当時わたしはすでに音楽製作に必要な機材等をかなり買いそろえており、すべては無理でもいくつかは持って行くつもりであった。キーボードも現地で調達しようと思っていた。しかし、どう考えてもよくわからん日本人がキーボード持ち込んでポロポロ弾くのを受け入れてくれるホームステイ先はないと思ったし、なによりわたし、他人との共同生活が大の苦手なのである。実は中学3年のころから、親とさえ同居していないのだ。別に複雑な家庭環境というわけではなく、子供の自立を願う親によって、すでに大学生で一人暮らしをしていた姉と住んでみなさいとすすめられたのだ。とはいっても実家から目と鼻の先であったので、半分共同生活と同じだったが、それでもひとつ屋根のしたで寝泊まりするのとは全然ちがう。結果わたしは、基本的な家事などはこなせる反面、友達とのお泊まり会では緊張してあまり眠れないようなかんじになってしまった。
そんなこんなで住む場所も万全でたどりついたモントリオールであったが、着いた直後からアパートのトイレが水漏れしていたり、食べるものも水もないのに夜中なのでどの店も開いてなかったり、あげく蛇口からでた水はあきらかににごっており(こわい)、姉が空港でわたしてくれたチョコレートと、備え付けのやかんで沸かしたお湯(わかせば多少殺菌されるかなって…にごってることに変わりはなかったけど)でしのぎつつ、「や、だいじょうぶだよ、そんなに悪くないよ、うん。」と自分をはげましつつ、ちょっと泣きながらその日はむりやり寝た。
その後も、夜中の2時にいきなり火災警報機がなって住民全員そとに出される、デパートで買った物が不良品だったので取り替えてもらいに行ったら「自分で代わりのやつとってこい」と言われる(前回こわれてるやつを引いたアンラッキーなわたしが次も不良品をとってしまう可能性は高いと思いませんか)など、カルチャーショックは連日つづいた。自分でいうのも何だがわりと温室育ちであったわたしは日々いっぱいいっぱいであった。
つづく