シャガール展 | 冥王星移住計画

シャガール展

どうやら芸大の最寄り駅は、上野・鶯谷・日暮里っぽい。どの駅からもおおむね等距離にある。つまり、山手線の内側のけっこういいところにあるということだ。強いていえば、鶯谷が最寄りっぽいが、あいにく鶯谷付近の地理はよく知らない。iPhoneのマップを参照しながら進めば道に迷うことはないが、それもだるいので、上野からいくことにした。

そんなわけで昨日は自転車で通った道を、今日は徒歩で通ることになった。ちょうど雨上がりで地面や木々の葉が湿っていたせいか、園内はなかなかいい感じに見えた。昨日の日記では「上野公園って見た目的にしょぼい」的なことを書いたが、アスファルトの色が気にくわなかったのかもしれない。

で、シャガール展。

いやはや、昨日躊躇して、入るのを断念したのが馬鹿だった。よく情報を確認したりもせずに、「シャガール展っていっても、シャガールの大きめのが一枚と小さめのが二枚くらいで、あとはどうせほかの作家なんだろ」なんて予想していたんだが、なんというか、おれがまちがっていた。シャガールがたっぷりあった。でかいのも、ちいさいのも。これで1,500円はありえんほど安い。これほどC/Pの高い展覧会ってなかなかないと思う。シャガール好きなら、いかなきゃ損だ。

美術館ではいつもかなり時間をかけて作品をながめる。通ぶって、遠いとこからながめてみたり、近づいて細部をながめてみたりする。以前、美術を学んでいた子とつきあっていたことがあり、その影響を受けたっぽい。自分自身は美術を専門に学んだことはなく、美学や美術史にも疎いが、もともと哲学専攻で、分野はちがえど芸術家志望でもあったから、審美眼や観察力の多寡はともかくとして、すくなくとも、「作品」と呼ばれるものを分析的に見るような癖はついている。それに、時間をかけてじっくりと見れば、素人なら素人なりに、見えてくるものは何かしらある。

べつにのろけたいわけではないが、以前は美術館は上記の女の子といつもふたりでいっていた。いっしょにならんで見てまわるのではなく、各自好き勝手に見てまわり、途中、キリのいいところで何度か合流して感想を述べ合う、というかたちをとっていた。それがとてもおもしろかった。相手は専門家のようなものなので、それなりに深い議論もできた。

そういうスタイルを長いこととっていたので、ひとりで見てまわるのはなんだかとても味気なかった。感想をいいたいのにいえない。自分なりの解釈を開陳したいのにそれができない。やっぱり、美術館はふたりで来るものだ、と思った。べつに異性でなくてもいい。同性でもいいから、その場で感想を言い合える相手がほしい。

美術館にはけっこうすてきなひとが多い。途中、気の強そうなギャルっぽい子がにらむような目つきでじっと彫刻を見つめている姿が目に入った。妙に印象的な光景だった。ギャル系は苦手だが、こういう子ならいいな、と思った。
そんなこんなで、いずれ恋人を探すなら、美術館にしよう、と心に決めた。「美術館で出会った」って、二人のなれそめとして、なんだか素敵じゃん? もっとも、相手がおれでは、相手にとってはステキじゃないかもしれないが。

しかたなく、ひとりで作品を見てまわりながら、作品にひとつひとつ点数をつけていってみた。入り口でもらった作品リストにひとつひとつボールペンで記入していった。くだらぬ一人遊び。しっかりと評価しようと意識することによって、ふだんよりもしっかりと作品を見ることができたっぽいので、これは結果的に成功だったかもしれない。

『赤い馬』と『イカルスの墜落』が特によかった。
当初、『赤い馬』は9.5点としていたが、のちに見方を変え、10点にした。表題である赤い馬を中心に見るのではなく、下に描かれているカップルの男のほうを主人公と仮定して見ると、すばらしくいい作品であるように思えた。これはおそらく正統的な解釈なんじゃないかと思う。
『イカルスの墜落』はトリをつとめるにふさわしい作品だった。この作品がここにあるのは当然、と思えた。
10点としたのはこのふたつと、舞台劇用に描かれた小品のうちのひとつ、『怪物』の計三点。
『怪物』はヘビみたいな感じだった。細長い胴体がいかにもシャガールっぽい色で塗り分けられていて、なんというか、まさにシャガールという感じがした。ヘビさえ「自分の色」にしてしまう、シャガール作品以外のなにものでもないと思えるほどにしてしまう、その力に脱帽した。

途中、何度か引き返して、気に入った作品をあらためてながめたりしていたので、全部を見てまわるのに、かれこれ一時間半くらいはかかった。あと三十分くらい居座るつもりだったが、電話がかかってきて、早急に折り返しの電話を入れなければならなかったので、外に出た。ちょうど全部見終わって、十分に堪能していたので、タイミングがよかったといえば、よかった。