明治維新
実は今回の旅行はドラマロケ地巡りとかじゃなかったんです。
八重の桜は幕末関係の土地なので関係あるんですが、幕末の歴史をめぐる旅に出てました。
一つ目の目的は長岡藩。新潟県長岡市内で河井継之助さんの痕跡を見に行きました。
この人は幕末の長岡藩建て直し、明治維新の時、武装中立を模索した偉人です。結局、土佐の陸援隊の岩村さんと決裂して結局戊辰戦争で長岡を焼け野原にしてしまった人でもあります。
評価は様々でしょうが、スイスのような中立の立場を目指したけど明治維新という革命で血祭りにあげられた実例でしょうね。
個人的には為替の差などで藩財を増やし、当時日本に三門しかなかったガトリング砲を二門も購入した手腕は政治家としてもすばらしいと思います。
結局、長岡は負けて、彼らは会津に撤退します。ですが、新政府軍に小藩が多大な足止めをさせています。
会津は前に書いたのであれですが、八重の桜を見たら一面は分かるかな。なのでここでは書かないとこう(^^)
ただ、歴史を見ると状況次第で善にも悪にもなり得るということが分かりますが、自分自身をぶれずに持っているのは、凛として美しいというか、カッコいいですね(//∇//)
全然違うかもしれないけど、仕事とかでもそうありたいな。。
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八重の桜は幕末関係の土地なので関係あるんですが、幕末の歴史をめぐる旅に出てました。
一つ目の目的は長岡藩。新潟県長岡市内で河井継之助さんの痕跡を見に行きました。
この人は幕末の長岡藩建て直し、明治維新の時、武装中立を模索した偉人です。結局、土佐の陸援隊の岩村さんと決裂して結局戊辰戦争で長岡を焼け野原にしてしまった人でもあります。
評価は様々でしょうが、スイスのような中立の立場を目指したけど明治維新という革命で血祭りにあげられた実例でしょうね。
個人的には為替の差などで藩財を増やし、当時日本に三門しかなかったガトリング砲を二門も購入した手腕は政治家としてもすばらしいと思います。
結局、長岡は負けて、彼らは会津に撤退します。ですが、新政府軍に小藩が多大な足止めをさせています。
会津は前に書いたのであれですが、八重の桜を見たら一面は分かるかな。なのでここでは書かないとこう(^^)
ただ、歴史を見ると状況次第で善にも悪にもなり得るということが分かりますが、自分自身をぶれずに持っているのは、凛として美しいというか、カッコいいですね(//∇//)
全然違うかもしれないけど、仕事とかでもそうありたいな。。
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GW
東北に行ってきました。
今回は震災後の東北の現実を見てきました。あまちゃんとか八重の桜などNHKドラマの舞台となり元気を取り戻して来てるのも感じてめっちゃ嬉しかったです。
鶴ヶ城。これから八重の桜で出てきますね。きれいなお城でしたが、ここはさらっと通過しました。
日新館。会津の藩校です。昔は城の隣にあったんですが今は郊外にあります。
河東磐梯IC近くです。
そういえば帰りにも会津若松を通過しましたが高速のICがめちゃ混んでました…(-_-;)
会津若松ICじゃなくて河東磐梯でも会津観光行けるのでこれから行く方はご参考に♪
次は南三陸町の防災対策庁舎です。
ここを代表で載せますが津波の凄まじさが分かります…。
この防災対策庁舎は当日、24歳の女性が津波が押し寄せる直前まで「高台へ、高台へ避難してください」と言い続けて町の方達を避難誘導されました。最終的に屋上に避難した人達も建物ごとのみ込まれ、一部の方をのぞき被災されました。
本当に涙が止まりません。
これは線路の高架です。がれきはほぼ整理されてましたが、こことか、建物の基礎跡がそのまま広がってるのがまだまだ見えるのでもっともっと復旧にかかると思います。
阪神大震災の復興も時間と比例して復興していきましたが今回はあまりにも広範囲だったのだと改めて思います。
改めて、亡くなられた方のご冥福をお祈りし、残された日本人として出来ることをやっていきたいと思います。
今回はここまで。また続き書きます。
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今回は震災後の東北の現実を見てきました。あまちゃんとか八重の桜などNHKドラマの舞台となり元気を取り戻して来てるのも感じてめっちゃ嬉しかったです。
鶴ヶ城。これから八重の桜で出てきますね。きれいなお城でしたが、ここはさらっと通過しました。
日新館。会津の藩校です。昔は城の隣にあったんですが今は郊外にあります。
河東磐梯IC近くです。
そういえば帰りにも会津若松を通過しましたが高速のICがめちゃ混んでました…(-_-;)
会津若松ICじゃなくて河東磐梯でも会津観光行けるのでこれから行く方はご参考に♪
次は南三陸町の防災対策庁舎です。
ここを代表で載せますが津波の凄まじさが分かります…。
この防災対策庁舎は当日、24歳の女性が津波が押し寄せる直前まで「高台へ、高台へ避難してください」と言い続けて町の方達を避難誘導されました。最終的に屋上に避難した人達も建物ごとのみ込まれ、一部の方をのぞき被災されました。
本当に涙が止まりません。
これは線路の高架です。がれきはほぼ整理されてましたが、こことか、建物の基礎跡がそのまま広がってるのがまだまだ見えるのでもっともっと復旧にかかると思います。
阪神大震災の復興も時間と比例して復興していきましたが今回はあまりにも広範囲だったのだと改めて思います。
改めて、亡くなられた方のご冥福をお祈りし、残された日本人として出来ることをやっていきたいと思います。
今回はここまで。また続き書きます。
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