1996年のアトランタ・オリンピックで、三位に入賞したマラソンの有森裕子選手は、競技終了後のインタビューにて、
「メダルの色は銅だけど、初めて自分で自分を褒めてあげたいです」
と答えました。
彼女の言葉「自分で自分を褒めてあげたい」は流行語となり、その年の新語流行語大賞に選ばれました。
「自分で自分を褒める」のは、自分を労(ねぎら)い、称え、愛でる、自分へ対するプラスのストロークです。
これが、エクスターナル(外へ向けての)ストロークに対する、自分へ対する(インターナル:Internal)ストロークです。
■無条件に自分を認めるストローク
わりと見逃されがちなのが「メダルの色は銅だけど」という前文。
きっと彼女は、もし三位に入賞できなかったとしても、自分で自分を褒めたのではないでしょうか。
それだけ精一杯、努力した結果だった。それが「メダルの色は銅だけど」という前文に現れていると思いませんか?
メダルの色は金じゃなくともいい、銀じゃなくともいい、銅だっていい。頑張った自分を褒めてあげたいという無条件のストロークです。
これが、もし条件つきのストロークだったら、「銅メダルをとった自分を褒める」ことになります。が、逆にいえば「金メダルを取れなかった自分を褒められない」ことになります。日本を代表する競技選手ですから、当然、金メダルを目指していたわけで、金メダル以外でなければ自分を褒められない。
つまり、金メダルを取れなかったら、自分へ(インターナル)ストロークできなくなってしまう。
これでは、金メダルを取らない限り、いつまで経っても、自分を褒められない。なので、自分へのストロークは、基本的に無条件で放つこと。
そうすれば、銅メダルでも良いし、メダルを取れなくてもよい。頑張った褒美として自分を褒めることができます。
なにも、オリンピックのメダルなんて、大袈裟な話だけじゃありませんよ?
禁煙した自分を称えるのも大事ですが、禁煙中の自分を称えるのも大事です。
ダイエットに成功した自分を褒めるのも大事ですが、ダイエットに励んでいる自分を褒めるのも大事です。
キレイになった自分を好きになるのも大事ですが、キレイになろうと努力している自分を好きになるのも大事。
一生懸命に頑張っている自分を認めることが大事なのです。
■謙譲の美徳のウィークポイント
ところが、日本には、謙譲の美徳(自分を低めることで相手を高めるのが美しいとされる慣習)があり、それが正しく作用しているうちは良いのですが、行き過ぎると、必要以上に卑下してしまいます。
ひどいケースになると、身内をバカ扱いしてしまい、相手の方が却って「そこまで卑屈にならなくとも」と興ざめしてしまうようなことに。
謙譲の美徳は、儒教が日本独自の詫び寂び思想に結びついて定着した素晴らしい日本文化です。
が、儒教は人(孔子)が作った訓えだけに、決して完璧ではなく、自分を卑下する副作用として、どうしても、自分を褒めたり、認めたりする言動(インターナル・ストローク)に欠けてしまいます。
日本人は、自分を低めるのに慣れている反面、自分を高めるのに慣れておらず、その結果、自分を褒めるのが難しいという単純な構図が、日本人の気質に刷り込まれてしまった。それで「自分で自分を褒めてあげたい」が流行した。
褒められないから、褒め方が分らない。褒められた経験が少ない人ほど、褒めることも少ない。逆にいえば、褒められ慣れているハリウッドスターに限って、さらりと誰かを褒め称えたりします。
褒めるにあたっては、自分に自信が有るとか無いとかの問題以前に、慣れなんですよ。自分を褒めにくいのは、自分を、そして他人を褒める習慣に乏しいからです。
ストロークのみならず、キャベツの千切りにしても、行儀作法にしても、スポーツにしても、慣れないことをするのは難しい。
逆に、慣れると、なんにも難しくなくなっちゃいます。褒めるのに慣れると、褒める機会が多くなる。機会が多くなるから、ますます褒めるのに慣れる。慣れると、今度は自分を褒めることができる。そうして、好循環が始まります。
■まず隗より始めよ
では、褒め・褒められる好循環を起こすにはどうしたら良いのでしょうか?
答えは簡単。まずはあなたが、あなた自身へ向かってストロークすることです。
何もせずに座して待っていて、誰かが手を差し伸べてくれるほど世の中は甘くありません。
まずはあなたが、あなたを認めましょう。始めるのは他の誰でもありません、あなたから始めるのですよ。
軽い気持ちで、どんな些細なことでも、無条件に自分を認めてみて下さい。
生存でも、思考でも、真価でも、付加価値でも構いません。
- 「健康な自分はエライ」でもいいし、
- 「こんな個性的な顔立ちは中々いない」でもいいし、
- 「長寿の手相」でもいいし、
- 「無遅刻無欠勤」でも
何でも構いません。認めようとしているものが失われたとき、大変な思いをするであろう些細な何かを認めることから始めましょう。「今日も生きてて良かった」でも構わないのです。
もちろん、条件付きのストロークでも構いません。
「おいしい料理を作る自分はエライ」でも良いし、「浮気をしない自分は大したものだ」でも良いのです。
なにも、聖人君子と肩を並べるような大層な何かを認めようとしなくたっていいんです。
そんな大それたことは、聖人君子にしか出来ませんから、ほんの小さな、何でもないようなことを認めましょう。
ただし、何を認めたらよいか、誰かが教えてくれるわけじゃありませんよ?
神社仏閣へ詣でて、神様に訊いたって、教えてくれません。あなたの何を認めたらよいか、あなた自身で探す努力が要ります。
え?どうやって努力したら良いか分らない?
それじゃ、「靴を磨く」でも「掃除する」でも「風呂に入る」でも何でも良いので、ヤル気さえ起こせばスグにクリアできそうな小さな目標を立てて、それをクリアして下さい。クリアしたら「やれば出来るじゃないか。できる自分なんだ。スゲー」と自分を褒めてください。
または、クリアしたご褒美として、欲しかった品物を買いに行ったり、好きなチョコレートを食べてみてください。言葉でも物品でも良いので、自分に褒美を与えてみましょう。
ポイントは、達成できて当たり前なほど低い目標を立てること。
目標が低ければ低いほど、自分を褒める回数が増え、だんだん自分で自分を褒めるのに慣れていきます。
あるいは、誰かに聞くことです。相談相手に見つけてもらいましょう。
あなたが気づいていない何かを、客観的に教えてくれるかも知れません。それは「指の形がキレイだね」かも知れない。
その結果、手が美しいことに気づいたら、その後の生活習慣が少し変わるかも知れない。
まめにハンドクリームを塗るようになったり、爪にオイルを塗ったり、紫外線が当たらないように手袋をはめて外出したりして、常に手を意識するようになって「自分の手は素晴らしい」と、ますます自分で自分を認めるようになります。
望めば、手タレ(手だけ撮影するタレント)になって、モデル料を稼ぐことも出来ます。なにも女性ばかりがモデルじゃありません、男性の手タレだっているんです。彼らは、自分の手の美しさに気づいて、徹底的に手を愛しんだ。その結果、手タレとして収入を得るまでになったのです。
あなたが自分の些細な何かを認めるようになると、いずれは、他人をも躊躇なく褒められるようになります。そうやって誰かを祝福することで、あなたが祝福される人になっていきます。