「コの字シェルター」 (7) | ものがたりの小部屋

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昭和8年生まれのおばあちゃんが、小学生の頃を思い出して書いたものがたりです。こんな時代があったことを、残せたらいいなと思っています。
ときどき童話も書いていきます。

ところが答辞を読む者が木津良二だと分かると、みんなはひそひそと私語を始めた。良二の成績が中より少し上程度だったのと、校内一の腕白者で、態度が良くないとしょっちゅう先生に叱られているような奴だったからだ。


「あいつの祖父(じい)ちゃんが、えらい役人なんだってさ」

「あいつ体格が良いだろう。来賓が来たとき、すぐお国の役に立つ生徒だつて思わせるためだってさ」

という声が聞こえてきた。


「なあに、あいつの兄貴が予科練に合格してるせいだよ」

という者もいた。


そういう噂が本人の耳にも入るのか、良二は近ごろ何かというと均や健太やおれを目の仇にするようになった。 今日も昼休みに運動場の隅で日向ぼっこしながらおれ達が座り込んでいると、良二は手下の二、三人を連れてやってきた。にやにや笑いながら


「お前ら、徴兵猶予を狙っているんだって」

と挑むように言った。おれ達は顔を見合わせた。「うん」と言ったら最後「非国民」とのはやされるのは分かっていた。均などはもう青くなっていた。


おれは言った。

「別に。おれはただ理学部志望なだけだ」


良二は肩を揺すってせせら笑った。

「心配すんな。どうせお前らは丙種(へいしゅ)だぜ。お国の役に立てねえ不名誉な話さ」

おれ達はだんまりを通していたが、良二は更に言った。


「知ってるか。徴兵検査の時、採便ってことされるんだぜ」

「サイベン?」


これは誰も知らないことだった。良二は得意げに教えた。

「みんな素っ裸にされてさ。ケツの穴から棒を突っこまれてウンコを採られるんだぜ」


おれは「嘘だろ。嘘にきまってら」といってやりたかった。

だが言えなかった。軍隊というところならそんな乱暴なこともありそうだと思ったからだ。


「ぐ、ぐう」

というような声を出して健太がのど元を押さえてしゃがみこんだ。吐くものがないので泡を吹いている。おれと均はあわてて背中をさすってやった。

良二はさすがにバツの悪そうな顔をしていたが、その時始業のベルが鳴ったので、救われたように駆けて行ってしまった。おれは健太を支えてやりながら、ふと、こんなに弱っていると中学へ行ってもきびしい教練に耐えられるだろうかと思った。


卒業式の前の晩、おれは取って置きの新しい鉛筆を三本、注意深く小刀で削っていた。この三本はぐうぜん父さんの筆箱の中に残っていたもので、今どきの、削る片はしから折れてしまうような品物じゃなかった。

卒業式の次の日はいよいよ中学校の入試だ。必要な書類はちゃんと揃っている。参考書や辞書はもう見ないことにしていた。後は正しい答案をすらすらと書く鉛筆だけ用意すればいいんだ。明日はもう何もしなくて良いようにそれぞれの鉛筆にきちんとキャップをかぶせて筆箱にしまった。


まだ八時だというのにばあちゃんはもう居眠りをしていた。ばあちゃんは今年の冬はすっかり弱ってしまって布団は敷きっぱなしだし,しょっ中独りごとは言うしで、おれはうんざりしていた。

「ばあちゃん、眠るんなら着物ぬがないと風邪ひくぞ」

ばあちゃんはのろのろともんぺを脱ぎはじめた。どうせばあちゃんは空襲警報が鳴っても「めんどくさい」といって退避しないんだ。「敵サンは毎晩のように来るけど、偵察にくるだけやないか。そんなもんに付き合うていられん」とも言っていた。


おれも内心はその通りだと思っていたので、ばあちゃんの思う通りにさせてやっていたんだ。おれは久しぶりにラジオドラマを聞くことにした。時々ぶったたかないとプチンと切れてしまうようなラジオだったけれど、この夜はちゃんと聞こえた。ドラマが終わったあともだらだらとラジオを切らずにいたら、また警戒警報だ。


「○○部軍監区情報、○○部軍監区情報・・」 

というアナウンサーの緊張した声が飛び込んできた。ガーガーと雑音がひどくなるのを耳をくっつけて聴いているとB29の大編隊がこっちへ向かっていると言うのだ。


おれは急いで防空頭巾をかぶるとリュックサックへ大切なものをいれていつでも避難出来る用意をした。その頃まではまだ空襲の恐ろしさが分かっていなかったのだ。敵サンさんは来るけれどいつだって通り過ぎて行くだけのように思いこんでいたのだ。


「ばあちゃん。着物を着ておいた方がいいぜ。何だか今夜は普通じゃないよ」

おれの言葉が終わらないうちに、いきなり町内の火のみやぐらでけたたましく半鐘を打つ音が聞こえてきた。くるったように乱打している。[敵機来襲]の合図なんだけど、そんなものは必要なかった。現に敵機の大編隊がもう頭の上に来ていたんだ。


何百機(とおれには思えた)もの爆音と半鐘の連打、おれはたちまち気が狂いそうになった。何もかも手につかない、というより何ひとつ考えられなかった。「あ、もう死ぬ、死ぬ。だめだ、もう終わりだ」という思いがいっせいに押し寄せて、りんごでもつぶすようにおれの頭にのしかかってきた。


とにかくどこかの防空壕へ入れてもらおうと、ふるえながら一歩ふみだそうとした時、べちょっとした生温かいものに腰をつかまれてとび上った。

「勝男、かつお。ばあちゃんも防空壕へ入れてもらう。いっしょに連れていっとくれ」

というしゃがれ声がした。ねまきのままのばあちゃんが、おれの足にすがりついているのだ。


「頼むわ。ばあちゃんも退避するで」ふだんいくら勧めてもがんこに防空壕には入らないと言い張っていたようすとは大違いだった。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       でもおれにはころっとかわったばあちゃんに腹を立てたり笑ったりする余裕はなかった。出来ることなら放っといて先に逃げたいところだったが、そうも行かなかった。


おれは無言でばあちゃんのもんぺとねんねこ半纏を持って来て身支度をさせると背負うようにして、路地伝いに均の家の防空壕まで連れて行った。もう辺りはあちらこちらで上がった火の手で昼間のように明るくなっていた。均の家の壕は話に聞いていたよりも深く広くて中には裸電球だったけれども電気さえひいてあった。階段を数段下りただけで外の恐ろしい音響と光線がすうっと遠のいたような気がした。


均は親切にばあちゃんを一番壁が分厚いというコの字の下の枝の部分へ入らせてくれた。ばあちゃんは喜んで須賀家のひとたちを拝んだ。


「勝男、お前もここに居ろよ。きょうのはひどいぜ」

と均はいってくれた。見たところまだ余裕がありそうだったのでおれもそのつもりになった時、ばあちやんのあわてた声が聞こえた。


「しもうた。信玄袋を布団の中へ忘れて来た。勝男、すまんが取ってきておくれんか」

仕方なかった。ばあちゃんの信玄袋は郵便局の通帳や判こが入っている大切なものだ。おれはぶつちょう面をしたまま取って返した。


気の毒そうに戸口まで送ってきてくれた均は

「早く戻ってこいよ。遠慮はいらないぜ」

と言い、続いて声をひそめて 

「聞いたかい。理学部生の徴兵猶予はもう取り止めになったんだとさ」

「えっ?」

とふり向いたおれの目に実に哀しそうな表情の均の顔が映った。おれはあとあとまでこの時の均の顔が忘れられなかった。



全速力で家に戻った。ばあちゃんの信玄袋はすぐ見つかった。まだ半鐘と爆音は続いていたが、少し落ちつきをとりもどしていたおれは、雨戸を締め台所の火元を確かめてから均の家の壕へ戻った。時間にしても十五分もかかっていなかった。だのに、どういうわけか壕の戸はぴっちり閉められていて、外からどんなに喚こうが叩こうが応答がなかった。


おれはあきらめた。何かのまちがいで須賀家の人たちが中から錠をかけたんだ。とすると今夜の空襲が終わるまでその戸は開かないに違いなかった。おれはあきらめて走り出した。おれの考えは間違っていなかったと見えて、表通りにはいつのまにか避難する人間があふれていた。


「川へ行け、大川だ。水のそばが安全だぞ」

とか

「橋はいかん。爆撃の目標になる」

とかいう声が入り乱れて聞こえた。おれの体は人に乗せられているように川べりへ運ばれて行った。


「勝男、どうして均んちの壕に入らなかったんだ」

不意におれの腕をつかんだ奴がいた。健太だ。おれは(ああ、こいつも防空壕に入れなかったんだ)と思った。健太はおれの手をぐいぐい引っ張って川べりの下水溝へ隠れた。それは直径二メートルはありそうな大きい土管だった。二人は夜明けまでそこにいた。


命が助かったと思ったのは、半鐘も爆音も嘘のように消えていると分った時だった。

おれは安心して家に帰った。ところが須賀の家も健太が引き取られていた小母さんの家も焼け落ちていたんだ。町の中で残っていたのは一番みすぼらしいおれんちの長屋だけだった。


須賀のおやじさんが自慢していたコの字のシェルターは直撃弾を受けて家、工場もろ共ふっとんでいた。焼け跡は深くえぐれていて骨ひとつ髪の毛一本残っていなかった。健太の親類の一家は防空壕がちゃちな手作りだったので、爆撃が激しくなった頃、もう町の外へ逃げていたらしい。おれは健太といっしょにとにかく小学校へ行ってみた。


学校はかなり爆風にやられていたが建物は残っていて負傷者がどんどん運びこまれていて、先生たちはてんてこまいだった。卒業式どころじゃなかった。おれはばあちゃんがやられたことを担任に話し、文を教えてもらって療養所の母さんに「カツオブジ、ソボヒサイ」と電報を打っておいた。


健太は広島の別な親戚へ行くようにと先生から勧められていた。何でもよっちゃんの小母さんが焼け出されたままのかっこうで学校へ来て、よっちゃんを山梨の小学校へ転校させる手続きをして行ったそうだ。


おれと健太はその夜は、おれんちで寝た。次の日、中学の入試についての説明があるというというので学校へ行くと、今回に限り受験生は全員第一志望の効公立への入学を認めると決まったと知らされた。


健太とおれは顔を見合わせて久しぶりに心から笑った。おれの記憶ではこの戦争で得をしたのは、この時の無試験入学ただ一つだった。でも健太はせっかくの特典を活かすことができなかった。広島の親類が心配して引き取りにきてくれたからだ。「あちらには師範の付属もあるから」と担任は言ったらしい。


おれは「軍隊でまた会おう」といい、健太は「ヨーロッパには百年戦争なんてあったそうだから、おれたちもお国の役に立つだろう」と言った。おれは頷いて別れた。

  

                                        (おわり)