という事は優しさであり、いつか喜びになるかも知れないと
思っていましたが、無意味であると
気づきました。
もし私がそれにこだわり続けるならば
否定され続けることに
徹底的に忍耐し続けなくては
いけないからです。
私が甘かったのでしょう。
私が積み上げたものを
気に入らず壊しに来る人に
悲しさしかありませんが
もう何を言っても無意味で、無価値な自分自身しかかんじません。
壁やごみ扱いされたとしても、
私がそれを認めれば、社会で
生きていけないでしょう。
血縁関係にうすく、経済的にも豊かでなかった私は、
どれだけ意志があっても
何もすることができないのかもしれません。