人間は一つの極端にあるからといって、その偉大さを示しはしない。むしろ同時に二つの極端に達し、その中間をすべて満たすことによって、それを示すものである。
パスカルの言葉。
中間を豊かに満たす為には、極端を理解している必要があるという事なのか。
客観的に、理性的に見つめることができて、初めて可能になる。
私は、容易に走って行って壁にぶつかり、倒れっぱなしになってしまう。
しかも、そう重大な事でなくても、ごくごくささいなことがきっかけで突っ走ってしまう
我に帰るには、時間がかかるかもしれない。
あまり繰り返しになりたくない作業。
こころは感情に囚われると、理性は失われがちだ。
再び、パスカルの言葉。
心には理性で分からない理由がある。
例えそうだとしても、心を思うがまま放っておくわけにはいかない。
どういう言葉であれ、表現すること。
苦しみもがくうちにも、そんなささやかな行いのうちに、私を取り戻せるかもしれない。
パスカルは、こう教えてくれるのだから。
ささいなことが私たちの慰めになるのは、ささいなことが私たちの苦しみになるからである。
一喜一憂することなく。
そう思ってはきたけど。
一喜一憂するもんだと、受けいれていく方がいいかもしれない。