その風景が現実にあるものなのか、夢で見たものなのか、それすら分からなかった。
ある一連のいろんな経験と結びついたものであり、大人になってからも、その風景を心に呼び覚ます時、ありありと現実感をもってよみがえってくるのだった。
ただ、確信がないのである。
現実というには朧げで、夢というにははっきりとし過ぎている。
子供の時の記憶。
大人が覚えるような、そんな仕方ではなく、直接的に脳裏にやきついていて、それに伴ういろんな感情。
誰に話すともなく、時折不思議な思いを抱きながら、懐かしさと美しさをもって、その風景を心の内に眺めていた。
最近、ひょっとしたら幼い時に現実に見た景色かもしれない‥という思いが強くなり、父に尋ねてみた。
その風景を巻き込む一連の経験の中に、父が登場するからだ。
なんのことはない。
すこし説明するやいなや、あっと言う間に父は、その風景の場所を具体的に教えてくれたのだ。
ほんとにある風景だったんだ、ってとっても感動した。
でも、その風景が私の心を惹きつける理由って、なんだろう?
私の内に何か意味があるのか、それとも何かそのものに意味があるのか。
それが内側からくるきっかけになっているのか、外側からくる予兆になっているのか、境界線は、限りなく曖昧で見分ける事ができない。
思い描くこと、心に強く惹きつけられること
私の与り知らぬところで、未来へと志向していく、そんな働きがあるのかもしれない。
風景は、信仰に関わるものだった。
実のところ、予兆だろうときっかけだろうとどちらだってかまわないのだ。
今、私の中でひとつであり、大きな意味を持つということには違いないのだから。