1741年に作曲された、ヘンデルの最大作メシア oratorio Messiahの第二部の終曲であるとのこと。
あまりにも荘厳幽大で美しいこの曲は、曲そのものに天上的なもの、神性そのものを感じてしまう程だ。
こんな話を聞いた。
1743年ロンドンで開催された音楽会の折りに、イギリス国王チャールス二世はこの曲に心うたれ、曲が終わるまで自ら席を立ち、敬虔の念を示したそうだ。
素晴らしいものに出会った時の感動は、時間、空間、身分の差異を問わないものだと思った。
ヘンデルは、幼少の頃から音楽の才能に恵まれていたが、父親は彼を法律家にしたいという希望を持っていた。
音楽への憧れを密かに燃やしていたヘンデルは、一人屋根裏部屋でグラビコード(ピアノの前身)を弾いていた。
素晴らしく輝く才能は、父親と共に訪問していた、ワイゼンフェルス公の従者をしていた異母兄をを通して、公に知られる事になり、援助を受けて音楽教育を受けるようになったという。
ハレルヤにも感動するけど、ヘンデルの音楽に対する情熱と才能と、それを見いだし育てたワイゼンフェルス公にも感動した。
ヘンデルが歩んだ道。
神様が共にあって、祝福された道だったのだろう。
先週、聖書研究会に行った時のこと。
牧師先生がこんな事を話しておられたのを思い出した。
重い病気の為に、入院されている修道女の方がお祈りされている姿を見た時に感じたこと。
その姿は、お祈りの言葉がどうこうというよりも、その方自身そのものが、あまりにも敬虔で厳かであり、神そのものを感じることができるような姿であったという。
人が持つ思い。
強い情熱に支えられた日々の積み重ねは、自然と溢れ出るようなものなのだろう。
存在するものの時間と空間超えたひろがりが、今を支え、表現しているのかもしれない。