神を畏れる、無垢な正しい人で、東の国一番の富豪だった。
ある日を境に、彼の人生は転落する。
サタンが神様にこうけしかけるのだ。彼の信仰は、財産が豊かであるからであって、失えば面と向かって神を呪うだろう、と。
それでは、彼のものを一切、おまえのいいようにしてみるがよい。ただし、彼には手をだすな。
神は、サタンにこう告げた。
結果、その日のうちに、財産、家畜、使用人、愛する息子や娘達を失ってしまう。
この絶望的な状況に直面してもなお、ヨブは信仰を失わない。
ヨブは、このように言う。
私は裸で母の胎を出た。
裸でそこに帰ろう。
主は与え、主は奪う。
主の御名はほめたたえられよ。
神はヨブの正しさと無垢を賞賛した。
再びサタンと神の対話のあと、今度はひどい病気になってしまう。
余りにひどい状態に妻は、神を呪って死ぬ方がましだ、と言い、それに対してヨブは、こう答える。
わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。
あくまでもヨブは唇でもって罪をおかすことをしなかった。
物語は、見舞いに訪れた三人の友人との対話が、詩という形で展開していく
病によって変わり果てた姿のヨブを前に、友人は慰めの言葉を失い、7日7夜見守るだけだった。
やがて嘆きの言葉が始まり、ヨブは自分の生まれた日を呪う。
わたしの生まれた日は消えうせよ。
男の子をみごもったことを告げた夜も
その日は闇となれ。
と言い、また、
なぜ、わたしは母の胎にいるうちに
死んでしまわなかったのか。
せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。
と嘆く。
ヨブの生きることに対する希望は、全く失われてしまい、このように言う。
忘れないで下さい。
わたしの命は風にすぎないことを。
わたしの目は二度と幸いを見ないでしょう。
わたしを見ている目は、やがてわたしを見失い
あなたが目を注がれても
わたしはもういないでしょう。
ヨブは、神に対して自らが滅ぼされることすら願う。
友はこんな目にヨブがあうのは、ヨブの罪に対する神の戒めであり、罪を洗いざらいにせよ、と言う。
身に覚えがないヨブは、激しく反発する。
ヨブは、あくまでも無垢な正しい人で、神を畏れる謙虚な人だったからだ。
あくまでも自らの正しさを神に訴える
最後の場面では、神御自身が現れヨブと対話する。
お前はわたしが定めたことを否定し
自分を無罪とするがために
わたしを有罪とさえするのか。
そして、神の絶対的な力を示す言葉が続く。
ヨブは、自分の知識を超えた驚くべき御業を前にして、自分を退け悔い改めた。
その後、ヨブは神に以前にもまして祝福された。
人が受ける地上的な災難や苦難をどう捉えるのか?
創造主としての神を信頼するとはどのような事なのか?
とても難しい問題だ。
聖書研究会で、先生にヨブ記を読んだ事を伝えたら、今度一緒に学んでくださる事になった。
今からとっても楽しみ。
もう一度読んでおこう。