キルケゴールにおける真理について | えむちゃん

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私にとって真理であるような真理を発見し、私がそれの為に生き、そして死にたいと思うようなイデーを発見することが必要なのだ。
いわゆる客観的真理などを探し出してみたところで、それが私の何に役に立つだろう。
‥‥真理というものが、私がそれを認めようと認めまいがおかまいなく、信頼して身を委ねるよりもむしろ恐怖の戦慄を呼び起こしながら、冷たくそして裸で私の前に立っているとしたら、そのような真理が私に何の役に立つだろう。

セーレン  キルケゴール
22歳の時の手記より。

上記の言葉は、
死に至る病や、不安の概念などの著作で知られているキルケゴールの思想の源泉となるところの若き日の思いの一部分です。

人において、生きる意味や方向性を与えてくれるものが、どのようなものなのか深く考えさせられる言葉です。

キルケゴールは哲学史においては、実存主義の創始者といわれています。
主体的真理を追求し、残された著作は真のキリスト者たるための苦闘の歴史でもあります。

キルケゴールの思想は、彼自身の人格と切り離し得ないのであり、その思想を読み解こうとする事はまた、彼自身の生き方と人格そのものを理解しようとする試みなのです。

単独者としての自己自身のあり方、またキリスト教における信仰の在り方を追求した結果生み出された数多くの著作は、自分自身を救う試みだったのかもしれません。

そのような真剣な闘いの間に、人としての真実を見る事ができ、多くの学びが私達に与えられています。

主体的真理に生きる大切さ。
他者の言葉に耳を傾ける謙遜さ。
総合して、我が糧として。

困難であろうと、現実において具体的に。