「源氏物語」や「雪国」「細雪」などを英訳した、コロンビア大名誉教授のエドワード・サイデンステッカーさんが亡くなった。


 川端康成のノーベル賞受賞は、彼の翻訳抜きにはなかったといわれる。


 もとは海軍の日本語学校で学び、捕虜の尋問や手紙の解析をする語学将校だった。戦後、東大で日本文学を学んだというが、異国の文化をそこまで理解し、それを数々の翻訳作品として残した源はなんだったのだろう。


 時に「語学としての英語」の向こうにあるものに思いを馳せつつ、「道具としての英語」さえうまく使いこなせず度々立ち止まっている私。大先輩の思いに少しでも触れてみたいと思っていたら、読売新聞のコラム「編集手帳」に、サイデンステッカーさんの自叙伝「流れゆく日々」の一節が紹介されていた。


 抜粋する。

「夜の底が白くなった」という「雪国」の一文を英訳した時のこと。サイデンステッカーさんは「夜の底」という表現を用いなかった。「night」と「white」という、響きの似た言葉を一つの文章の中に並べるのが嫌だったという。しかし、「夜の底」から生まれる鮮明な印象を思えば「やはり残しておくべきだった」とほろ苦い反省の弁をつづっている。


 コラムの筆者は「翻訳にあたっては語句の響きひとつに神経をすり減らし、何十年たっても訳文の瑕疵をみずから求めてやまない」サイデンステッカーさんに感服している。


 私は、生まれてこの方使い続けている日本語でも、そんなに吟味したことがあっただろうか。

 サイデンステッカーさんには異国の言語、文化であったからこそ見えたこともあったかもしれないが、言葉とは、使う人によってはこんなにも豊かで深いものだったのだと再認識させられる。


 そして、本物のプロの仕事は、誠実でかっこいい。



エドワード・G. サイデンステッカー, Edward G. Seidensticker, 安西 徹雄
流れゆく日々―サイデンステッカー自伝