プロサッカークラブを辞めてブログを書き始めた理由

 

 

住む街を変えるのは人生何度目でしょうか?

 

住んでいた街が嫌で隣町に一人家を出て、新たな挑戦と学びの為に今まで行ったこともない県外に移り住み、新しい家族が増えた事タイミングで沖縄に戻った。

 

あれから5年、また新しい街に移り住む。

 

 

 

仕事場=住む街

 

今まではそんな生活をしていた。僕の妻は、「旦那さんの仕事は転勤族なの?」と聞かれて、どう返事して良いかわからなかったので「そう!」と返事をしたそうだ。笑

僕は大学卒業と同時に起業したので、13年事業を営んでいる。

 

いくつかの会社を経営しているので、そこには従業員達がいる。

 

それなのに、うちの会社は社長自らドンドン外に出て行く笑

 

 

 

「地に足が着いてない!」「継続は力なり!」

 

なんて言ってくる”有難い”人もいるが、僕はこの仕事を13年続けてきた。

 

 

親父が死ぬ前に言った事を今でも覚えてる「小さな会社でも10年続けたら信用される。」

 

 

その言葉通り、10年過ぎたあたりから僕の「想像」や「想い」が信用してもらえる様になった。

ずっと近くで見てくれてたYさんは、「本当に言った通りになってきたね!」と言ってくれたけど、そうなる為だけにやってきたのである。

当時22歳の若者の話なんて誰も聞いてくれなかったけど、そう言う信じてくれる大人が少しいてくれのたは本当に心強かった。

 

 

 

「働き方を変えた涙のランチ」

 

 

それは沖縄に帰ってくる1年くらい前の出来事。

 

今でも思い出すと泣けてくる。その事がキッカケで働き方を変えた。

 

決断の仕方を変えたと言っても良いかもしれない。

 

 

 

直接僕と会ったことのある人は、いつも明るく面白い太った人と言う印象を持っていると思う。笑

 

その通り僕もなんかそんなイメージでやってきた。

 

嫌なこと言われても、誰かがまわりにストレスを巻き散らかしても、明るくみんなと楽しく仕事をしよう!

嫌いな人とも話せばわかりあえる!なんて思いながら仕事をしていた・・・。

 

しかしそんな考えが知らず知らずのうちに自分自身の精神を壊し始めていた。。。

 

沖縄に戻る前のプロクラブでは、朝家を出て夜中に家に帰る。

週末はホームゲームで朝から晩まで仕事。

 

休みに働いてくれている部下の頑張りを見届ける為、たまの休みも職場に顔を出すと言う生活をしていた。

 

いつしか僕の部下だけで会社の半分以上の人数になっており、その分フォロー(フォローと言ってもかなり優秀な部下達ばかりだったので、若い彼らが圧力に屈しない為のフォローだけ)をするのも結構な仕事になっていた。

 

僕がそのプロクラブで働き始めた時には、会社は既に大赤字。今にも倒産寸前。

 

ちょうどJリーグのクラブライセンスを作っていた時で、僕はライセンス担当ということで、リーグの会議などに出ていたが、このままではその作っているライセンスの基準によって、自らのクラブがJ2に参戦する資格を失うかもしれないと言う状況であった。

 

実際、Jリーグの会議では「このルールは宮城さんのクラブにとって死刑宣告ですね」と名指しで他クラブの前で嫌味を言われた。

 

あの悔しさとその担当者の顔は今でも鮮明に覚えている。

 

 

なんとか単年度黒字を達成し、ライセンス的にも少しばかりの猶予ができたのだが、その年一生忘れることのできない事故が起きた。

 

クラブの中学生が遠征中に亡くなったのだ。

 

僕は担当者とその事故が起きた近くの病院に駆けつけたが、時既に遅しであった。

 

遺体の前で崩れ落ちるご両親。呆然とするコーチ陣。

 

 

僕自身「夢なら覚めて欲しい」と言う思いと、「僕だけはしっかりしなければ」と言う思いの間で、病院や警察との手続きを行った。

 

事務所に戻ると、担当スタッフをスタッフが殴ると言う事が起きたほど、全員気が動転していた。

 

 

その後、僕と一部の役員のみで事故の対応を続けることにした。ご両親がクラブを責めたり訴えたり一切されなかった為、クラブは日常を取り戻し、日々が過ぎていった。

 

僕は、片道5時間の事故現場近くの警察署に通うこととなったが、1年半後「事件性は無かったと判断しました。宮城さん1年半ご苦労様でした。」と担当の丸山刑事からご連絡を頂き、この件は事故と判断された。

 

それを、ご家族に説明に行った際「宮城さん本当にご苦労様」と言って頂いたこと、「でもこう区切りが着くと、なんだか〇〇の事が忘れられるんじゃないかと思って寂しい」とお父様が涙を流され、一緒に涙を流したことを覚えている。

 

僕の業務は日常に戻るかもしれないが、一人の命はもう帰ってこない。ご家族の日常は帰ってこない。僕には一生彼やご家族を忘れないこと位しかできないかもしれないが、何か「生きる」と言うことの「覚悟」の様なものを持った出来事だった。

 

 

 

その後も厳しい経営状況が続き、ついに僕が務めて3年目、社長が退任することになった。

 

 

社長が就任する以前の大きな負債、むしろ社長就任のおかげで地域の信用を得て、経営も改善の兆しが見えてきた時のまさかの外圧による退任であった。

 

社内にも不穏な動きをしているものがいた、その外圧と内通している者がいたのだ。

 

有る事無い事全て社長の責任とし追い込んだのだ。

 

 

そんな外圧から社長を守れなかったこと、内通者を切れなかったこと、そんな状況にも関わらず働かない呑気なヤツ、そして何より自分の不甲斐なさに腹が立った。

 

プツッと糸が切れた瞬間。

 

そんな気持ちを切り替えようと、珍しく妻をランチに誘った。

 

 

妻が前々から行きたがっていたお店だ。

 

 

注文を済ませ、なんとなく会話をしていたが、仕事ばかりの僕が珍しくランチに誘ったことや、平然を装っているが心ここに在らずで会話がスムーズに進まない僕に対して

 

妻はこう語りかけてきた・・・続き