おはようございます。昨日NHKで夜テレビを見ていたら、車イスのダンサーがパフォーマンスしていました。

 

その番組自体は、様々な障がいを持った人たちが、それぞれのパフォーマンスを披露するという内容でした。

 

その中の一人として、その車イスの方がいたのです。

(歌手のAIさんが出ていたやつです!みなさんみました??)

 

私自身、障がい者スポーツに関わっていますので、やっぱまだまだポテンシャルあるなぁ〜なんて思いながら見ていたのですが、ふとそばで見ていた4歳の娘がこんな質問してきました。

 

娘「お父さん、この人がのっているのは何??」

 

私「車イスって言うんだよ〜」

 

娘「なんで車イスに乗っているの?なんで車イスの人がいるの?」

 

私「生まれた時とか、生まれた後に病気とか怪我とかになった人が足で歩くのが大変だから車イスにのっているんだよ〜」

 

と何気なく話は終わったのですが、またしばらくそのパフォーマンスを見ていると、娘がなぜか声を出さずに涙を流しているのです。

 

いつもはぎゃーと大声で泣いている娘が、シクシク泣いていました(笑)

 

娘なりに大きな何かを感じたのでしょう。

 

もしかしたら、自分の体と大きく違うその人を見た驚きかもしれません。

 

もしかしたら、その足が不自由な姿を見てかわいそうだと思ったかもしれません。

 

もしかしたら、そんな中一生懸命踊るその姿や、手をダイナミックに踊る姿に感動したのかもしれません。

 

娘に「どうしたの??」

 

と聞いてもどう言っていいのかわからない様子。

 

娘の疑問そして涙のわけは父にはわかりません。

 

そこで、私が「この人一生懸命楽しそうに踊っているね〜」

 

「世の中には、目が見えない人、耳が聞こえない人、手が動かない人、足が動かない人、お父さんみたいにお腹が大きい人、いろんな人がいるんだよ〜」

 

と言うと、また涙を浮かべて笑顔で見ていました。

 

 

 

大人になって障がい者の方と触れ合う機会ができた人は、可哀想とか不自由なのに頑張ってすごい!とかっていう発想になりがち。

 

 

 

パラリンピックは、可哀想な人の大会でもなければ、不自由なのに頑張る人の大会でもない。

 

 

色んな心や体の状態の人が世の中にはいて、みんなが日頃の鍛錬の成果を披露する場があるということなんだと思う。

 

SMAPが世界に一つだけの花で「No1にならなくてもいい、もっともっと特別なオンリ−1」って歌ってるけど、そのオンリー1同士が一番を目指す大会なんだろう。

 

例えがあってるかわからないけど、バラの中で一番綺麗なバラはどれですか??っていうオリンピックと、世の中にある花の中で一番綺麗な花はどれですか?というパラリンピックみたいな感じだろうか?

 

同じ陸上競技でも、障がいによって種目も変わってくるし、同じ種目の参加者でも障がいの重度もまた人それぞれ。

 

でもその中で、それぞれ様々な努力をし、その人にあった努力の仕方で1番を競う。

 

娘のように、理屈で障がいを理解するのではなく、生活の中で目にする機会があって、それをそのまんま受け入れる。ただいろんな人がいるということをシンプルに理解する・受け止めるということは大事なことなんだろう。

 

障がいがあろうがなかろうが、困っている人がいたら手をかす。そして自分も手を貸してもらえることがある。

 

そんなことを考えるきっかけになった一コマだった。

 

 

 

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