こんばんは。
±0主宰たはらひろやです。

僕の中でモヤモヤすることがあって、、、
そのモヤモヤとは

プロの俳優として
『君個性強いね』
と言われた時の話。

きっと、
芝居を作る上で、
みんなの中で一つの作品を釣る上で
個性が強いのは構わない。
だってワークショップってそういう部分を見たいんだもん。
新たな俳優さん含め
個性が強い人を見たい。

しかし、
僕の中の理論では
これを勘違いしている人が多い。


今まで某ワークショップだったり

某某ワークショップたったり

某某某ワークショップだったりを経験してきた。


その中で
役(自分という人間を通して)としての個性と

役(自分という人間から賭け離れようとする)としての個性にだいぶ差があるなあということ。

もちろん演技、演劇には諸説あるし
何がいいか何が正しく
何が間違いかなどは無いが

僕の中では圧倒的前者なわけで
普通にお話ししていて
普段の時に喋っていて
君、個性強いねなんて思われてはいけないんだろうなと思う。

なんでそんなこと言うんだ、個性が強い面では俳優として強いじゃないかと、思う人も一定多数居ると思う。
でもそう言うことじゃないのかなあって。
俳優ってすごく大変な仕事だと僕は改めて思うんだけど、
個性が強い(演出家としてこの人を育てたいと思う人以外)人は作品にはいらない気がするからだ(もちろんこれはただの僕の見解なだけなのだけど)。

じゃあなぜ?という質問も来るだろう。
それに対しては
個性が強いと言うことは
=個が強いと言うこと

個が強いことに対しては言うことはないが
それが作品の足を引っ張る可能性があるかもしれないという事。

もちろん
俳優としての日常生活ではそう言うわけではなく
役者として舞台で芝居をした時にとても個性的(個が強くなる)になる分にはとても素敵。
むしろ大好き。

だから、
というよりか、
ワークショップで言われる
『君個性強いね』
という言葉は
もっともっとその個性を芝居に出さずに
出してと言われた時に出しなさいみたいな暗喩なのかなあなんて事を感じたここ最近。

もちろんその人の中では
きっとここでやらなきゃ、とか
ここで何か結果残さねばという物が
おそらくあったのかもだけど
そういう自分というベクトルではなく
人作品を作る仲間というベクトルとして考えた方がワークショップオーディションとしてはお互い良き時間になるのではないかなあと思う。

それは、
ワークショップでもそうだし
オーディションでもそう。
ワークショップオーディションなら尚更

この人と
作品を作りたいなあと思ってもらえる人材になるべし。

と思います。




久しぶりに
スタバでフラペチーノ飲んだよ。
美味美味の乱。
美味美味の顔。


美味しかった。


明日はいよいよ、
配役発表。
誰がどの役をやるかは
改めての
お楽しみ。


このメンバーと一緒に作品を作れることが楽しみで仕方ない。


みんな大好きよ。


ではまた


明日も素敵な1日になりますように。



……いよいよ、配役発表、楽しみなり。



たはらひろや