3/11 私はパート先で被災しました。その前にも大きな地震がありその余震も多々あり、11日の時も本当に地震なのか自分がめまいしてるのか最初はわかりませんでした。

品出しを終え厨房に戻り「私クラクラします、めまいかな~」と言ったらそれが地震でした。もう一人いたおばさんのケータイに地震予測の通知が来て、フライヤーやスチームの電源を消したら…大きい揺れがきました。

波打つ揚げ油、次々と台から落ちる調理器具、立っていられないくらいの揺れ…急いで厨房から出て店内へ。買い物客がいます。揺れはひどくなります。目の前でバッタバッタと棚から落ちる商品、パチっと消えた電気、ありえないくらい左右に揺れる店内表示やガラス…。
恐怖のあまり泣いてしまいました。

私は昼以降のパートなので店での避難訓練をしたことがなく、ただただ呆然とするばかりで、その時も客の近くにいたお兄さんが「上に蛍光灯あるんでこっちに来て」と言われ、おばさん・私・お兄さんの三人で固まっていました。一旦地震が収まり、魚屋の人が「外に出て!」と誘導しに来てくれ、その時店内にいた従業員と客はみな無事でした。

生きてきた中で一番の恐怖でした。

その後、しばし外の駐車場で揺れが落ち着くのと上の指示を待ち、夕方4~5時頃に着の身着のまま(作業着にエプロンの上からコート、作業靴。寒い!) 雪の降りしきる中を泣きながら徒歩で帰宅。

帰宅する道中、道の亀裂や浮き上がり、近くの店のガラスが割れた様子、落ちた瓦屋根の家を見ました。

そして我が家。マンションの横に亀裂、大家さんの家の前のアスファルトも崩壊、下水栓が浮き出るほどの陥没…
部屋の中はもっとすごかった。靴箱の中身がすべて出て足の踏み場がなく、本棚の上半分、パソコンラックとその中身も、食器棚とその中身も、冷蔵庫やキッチンの引き出しの中身もすべて…全てが出ていてあっけにとられました。

でも我が家は幸い家族も親戚も友人も皆無事でした。
片づけは気が遠くなるほどかと思ったけど、夫が大きい家具のところをやってくれ、今は一部をのぞきほぼ元通りです。

ただ、結婚を期に買った二人おそろいの皿や茶碗、夫の趣味のコーヒー道具などが割れたり欠けたりしてほとんど捨てる羽目になったのが残念です。
でもそれはまた買えばいっか。

命があっただけよかった、そう思う。
同じ県内でもたくさんの犠牲者行方不明者避難所生活者がいる中、私たちはほぼ普通の生活に戻れている。
多少不便なことがあっても、自宅があり布団で足をのばして寝れている幸せ。電気ガス水道が使えること、食事に苦労していないこと、お風呂に入れることetc…。
あたり前だった生活がこんなにありがたいことだと初めて知った。

一日も早い復旧を目指して、がんばっぺ東北!