平成22年2月2日午前3時30分。

無事に長女、美詞が誕生しました。

妻は初産ということもあり、大阪の妻の実家

に程近い産院で出産を迎える事にして、私は

2月1日予定日まで仕事を続けながら千葉の

自宅で待機していました。

30日夜から前駆陣痛の徴候があり、31日

には陣痛の間隔が入院の目安となる1時間に

6回となったので、診察のため産院に向かい

ましたが、破水もなく、子宮口も開きかけた

ばかりと言うことで一時、帰宅することに...

私も、すっかり大阪に向かうつもりで控えて

いたものの、あえなく空振り、結局うだうだ

と気を揉むばかりで、深夜を過ぎても寝付け

ませんでした。

1日未明になって、本格的な陣痛が始まった

と義父から連絡があり、始発を待って、遂に

大阪入り。

結局、道中も興奮のあまり一睡もできません

でした。

産院のベッドに横たわる妻は、妊婦らしい

優しい笑みを浮かべ私を迎えてくれました。

出産にも間に合い、妻とひと月ぶりの再会

を果たして、先ずは一安心。

やはり一睡もせず付き添ってくれた義母に

も感謝です。

陣痛は10分ほどの間隔で定期的に訪れる

ものの、子宮口が硬く、開くまでにかなり

の時間を要しました。

陣痛から20時間を過ぎ、日が変わっても、

産道はなかなか広がりません。

陣痛の間隔は、徐々に短く、いきみの波も

強くなってきて、妻の疲労もすでに限界に

近い様子。

それでも私は、ただ妻の腰を擦ってやる事

しか出来ません。

私も妻もお産は初めてのコト、もし助産婦

さんと義母の助けがなかったら、二人きり

であの苦しい時間を乗り切れたかどうか

午前2時過ぎ、ようやく分娩室へ。

当初は分娩室に入ることに躊躇いがあり、

妻にも予め外で待つと伝えていましたが、

産道がまだ硬いという事もあり、万一の

時を考え、妻の傍にいてあげようと思い

ました。

午前3時30分、妻の最後の頑張り。

美詞は、生まれてすぐに張りのある元気

な声で泣いてくれました。

あの瞬間の震えるような気持ちを、私は

これから一生忘れないでしょう。

母子ともに経過は良好で、明日、退院の

予定です。1ヶ月後の検診まで妻と美詞

は大阪に留まることになり、淋しい限り

ですが、これまで応援をいただいた方々

には本当に感謝しております。

ありがとうございました。

平成22年2月5日