40年前の 9/3
34歳で 母が亡くなった



30歳で 骨肉腫になり
抗がん剤治療して
カツラ生活で 
あちこち転移してしまい
ほとんど入院してた




発病したころ 我が家は
父の仕事で アメリカに住んでいた




「日本語で説明を聞きたいし 日本に帰りたい」


ワタシと弟の世話もあるし
ワタシが6歳の頃 一家で帰国した





母の入院で
父方の祖母が 家事を、
母方の祖母が 病院担当




途中から コレは治らんかもヤバい!
って気づいたワタシ





そこから 頑張りすぎる子どもになったと思う
母が 吐きながらも頑張ってるのは
分かってたから
ワガママも 封印

出掛けたい!
遊園地行きたい!
ケーキ作りたい!


全部封印






そしてホンマに 死んでしもた…
昭和の頃
自宅でお葬式をするのが
普通だった




黒と白の 布で壁が 覆われて
祭壇が出来て



ドライアイスに囲まれた
母は カツラが嫌いだったので
お気に入りのスカーフで頭をくるんでた





学校の同級生も 先生の引率で
参列してくれて
たくさんの人に
「お姉ちゃん、しっかりするんやで!」
「弟を ちゃんと 見たるんやで」
と 声をかけてもらったが


よく考えたら コレも 呪縛の始まり


一歳しか違わへんし
ワタシは 悲しんだらあかんのやって
思ってしもたんやな

みんな 泣いてるのに
ワタシは泣けなかった







母の荷物は
帰国後 必要以外は段ボールのままで
それを 母方の親戚が
お葬式の後 形見分けだと言って
カバンやら服やら靴やら
持って帰られるのが
モヤモヤして すごい嫌やった







そんなワタシも 知らん間に
50歳
4人の子供
48歳で離婚


と波瀾万丈やけど
健康で 自由も手に入れ
反抗期には 振り回されてるが

生きている





理想のお母さんの
妄想が凄すぎて
子育て頑張りすぎてるみたいやけど
なんとか やってる






コレからも 見守っててな
まだまだ終わらない子育て。。
たまに夢に出てきてな
すっかりワタシの方が 
年上ですけどね 笑い泣き泣






呪いの言葉を
かけないように
心がけて 生活していこう






昨日 ゲリラ豪雨の後 
虹が出たの🌈