清算をいまここで、しようと思う。
さらっと全てを流せるものなら、とうにしているはずなので、あくまでも形式としてだが
未だにメッセージでは何かを期待してひらいている
全てをやめたいという気持ちはやっぱり変わらずあって、でもそれに対しての何かも少なからずあって
精算をするということは、決して忘れてしまうということでなく気持ちの持ちようを修正するという意である 私の中のイデア
ティシュのように丸めて捨てられたら、そんな楽な人生もないものだが それはそれで面白くないような気もするような
精算とはやはり名ばかりで、こうしている今でも、20年の後悔ばかりを積み上げて反省しながら生きている。生きていることは、死んでいないことである。
いつか青来有一のワークショップを受けたときに、文豪と私達との大きな違いは、文豪は死んでるからもう小説が書けないみたいな事を言っていた気がする。それとは往々にして関係のない話だけど
死んではないと思う、死にたいとは思うけど。正確に言うと死にたいとは少し違う
自殺は志願してないし、誰かのために投げ打つ命もない 今のところ
真ではないかはこれから検証していくにしろ、生きている限りは、できる後悔を積み上げて積み上げていきたい