唐突として何かが舞い込んできたときに、それに対してある程度適切なレスを返すことができるかであるかが社会人としてほぼほぼ必須のようなスキルであると思う。もうその範囲を少し広げて、応用的な考え方が出来るようになれば、人と関わることが楽しくなる。
人はこれをコミュ力と呼ぶ。
コミュ力は人によって本当に落差があるように感じる。コミュ力がある人、ない人。ある人ない人にもそれぞれあって、自分がコミュ力を持っていることを自覚している人、コミュ力がないことを分かっていない人、これらはくせ者であるが 私はというとコミュ力はないが、コミュ力がないことは自覚している。コミュ力は、ある程度才能のようなものに左右される部分と、努力で補うことが出来る部分がある。そして、世間は努力で補える部分で生きていけるように出来ている。ある程度は (たとえば、圧倒的に人を引きつける雰囲気自体もコミュ力の一部だと解釈していて、そういう部分は先天的に備わっている人にしか備わっていない→雰囲気イケメンという言葉は、とても残念な言葉だと思う、いろんなケースはあるけど)
十人十色という言葉があるように、いろんな人がいる。しかしながら、自分という存在は、自分の中にしかない。これをどう咀嚼するかは個人の自由だが コミュ力というのは、(普通に生きていくとしたら)避けるのが難しい道なんじゃなかろうか。というか、ある程度コミュ力がある方が、より実りのある生き方が出来るような、そんな気がする。気がするだけ という話